自由か秩序の二分法

  • 2011.08.10 Wednesday
  • 07:02
JUGEMテーマ:人生論
 ♪心が寒い心が痛い夢がお互いに違っていたのね♪

五月の初旬位に「エートスとパトス」ってタイトルで書いた覚えがあるが、

結局日本人の情緒なんだよね、パトスと言うか、
民主党を選んじまったなんてのは完全にパトスに属するんじゃないか、つまりエートスの欠如よね、

僕はスティッカムで配信を毎日のようにしていて、いつも思うんだけど、日本人が何が欲しいのかが今一つわからないんだよ、

つまり、どんな国が良いとか、今の社会主義化した世間主義人民共和国のままが良いのか、天皇の赤子として甘えの構造のままの明治憲法に戻したいとか、はたまた戦後押し付けられた、人類の普遍的原理に基づく昭和憲法のもとで、自由主義、個人主義の国として再出発したいのか、結局何もわからないのよ。

前から言うように、聖俗未分離で個=1が確立されていない状況だと、右や左、西や東に良いように流されちゃうんだよね、国民に自分が無ければ国家に自分があるわけもなく、主体性がなければ主権国家と呼べないんだし、国民が他力本願だったら国家だって他力本願になるに決まってる事すら理解してないみたいで、僕は悲しいんだ。

情緒ってのはこんな感じなんだよ、それは自分の彼氏や国を批判されれば気に入らないだろうけど、自分で批判しておいて、そうだねと頷かれるとむかつくあれに似てるのよね、

そうでしょ、例えば彼氏の愚痴を言う女性に下手にそうだ、そうだなんて相槌打とうものなら「貴方って本当に酷い人ね」なんて言われてしまうのがつきものでしょ、

今の日本人と僕の関係ってそんなものかも知れないと思うんだ、僕は日本人の大部分が自由主義、個人主義を望んでいると思っていたので、一生懸命日本の特異体質を論い、個の確立を説いて来た積りだったのだが、何の事はない、皆が日本の事を悪く言ったり、愚痴を言ったりするのは、前述の彼女ののろけみたいなものだったのだって最近判って来たんだよ、結局あたしの愛している日本の事を悪く言うのはけしからんと言う事でしょ。

詰まるところ日本人は自由よりも秩序が欲しいのでもって、大人になりたくないんでしょ、所謂ピーターパンシンドロームなのよ。

ここが僕と一般的な日本人との決定的な分かれ目なんだと思う、自由を取るか秩序を取るかの二分法なんだ。

最悪のシナリオ

  • 2011.08.08 Monday
  • 07:03
JUGEMテーマ:人生論
僕は正直言って日本の社会が益々自由主義、個人主義の西欧風社会に変化して行くものと信じ込んでいた。
まさか左翼過激派の残党が世間主義人民共和国を社会主義人民共和国に無理矢理に捻じ曲げようとするなど想像だにしなかった。

以前も日本の社会を世間主義人民共和国と揶揄し、自由主義、個人主義と言わなければ未だ良いなんて言っていたし、日本人は結局大人になりたくない症候群、ピーターパンシンドロームで、結局自由よりも秩序が欲しいんだ等とも言っていた。

「聖俗未分離というのは、聖俗一致のイスラム社会と一緒とも言えるから、イラク、アフガンがアメリカからの押し付けの自由に激しく抵抗しているのと一緒とも言える。」

「結局大人になりたくないってのは、自由よりも秩序が欲しいと言う事であって、僕が二度手間の国オーストラリアと片手間の国日本と揶揄するように、個の扱い方によって、自由を選ぶか秩序を選ぶかの究極の選択というものが生じ、たまたま僕はオーストラリアを選んだようなものなのかも知れない。」

こんな事を書いていた事もある、

「二度手間の国オーストラリアにいると、あの社会主義を思わせる、何でもシステマチックな日本が懐かしくなる、これを、自由を取るか秩序を取るかの二分法で解決するわけにも行かず、あの全てが建前の国日本と全てが二度手間の国オーストラリアの狭間で悩んでいる人も多いだろう。
これは、個が社会より先に来るか、後に来るかで決まっているみたいである、つまり、個が先に来ると二度手間になり、個を片手間に扱うと秩序は保てるが適応障害になる。」

社会主義にすれば聖俗分離させる必要もないし、つまり個の確立の必要が無いと考えるのは余りにも短絡的である。
何回も言うようだが、日本の置かれている立場は東のナチュラリズムでもなし、西のヒューマニズムでもない、どっちつかずの、謂わばイソップの蝙蝠状態、ある時はファーイースト、ある時はファーウェストのご都合主義なのであり、ホーリズムとか全体主義とか主体性を持った積極的な主義主張ではないのである。
これを自覚もせず安易に捻じ曲げようとするのは、時代逆行の蛮行である。

これで外国人に参政権を許し、人権擁護法案を通し、ネット規制を強化するなら、最早政治亡命を考えなければならない状況とも言える。

これ以上自然の摂理に反する決断あがあるだろうか、これは僕にとっては最悪のシナリオであり、まさに時代逆行の蛮行である。
 

良い様に扱われる日本人

  • 2011.08.06 Saturday
  • 20:03
JUGEMテーマ:人生論
オーストラリアに住んでいると、特に僕の住んでいる場所は石を投げれば中国人に当たるという感じの場所であり、十年後はオーストラリアの大部分が中国人に占拠されてしまう気もする。
今日もそれを象徴する出来事があった、日本人の経営するジャパレスでさえ最早日本のサービスは期待出来ないのである。
それに、自分が東京育ちのぶっ飛んでる日本人だからなのか知らないが、僕には既に最近のシドニーにいる日本人の若者が何を考えているかすら理解出来ないのである。
僕は思想的には西欧普遍主義だが政治的には大和民族党でると言って憚らない人間であるが、本来日本人のテリトリーである筈のジャパレス迄が中国人、韓国人に我が者顔に振る舞い、占拠されている状況を見ると、慙愧に耐えない想いである。
今日も帰って来てから女房にもう日本人に英語が教えられる資格を早急に取って、日本に帰り日本人の為に戦いたいと言ってやった。
何故日本人はかくも他国人の言いなりで、良い様に小突き回されて平気なのか僕には理解出来ない。

『女房が隣駅に新しく出来たジャパレスの”重兵衛”に行こうってので付き合った。
結果最悪、ビールと枝豆先に持って来てと行ったのにも拘わらず、玉子焼きを先に持って来て、挙句の果ては大根おろしに醤油も持って来ない。
醤油の小皿迄付いてるのに、大根おろしには醤油だろと言っても理解していない。
カウンターに行って文句を行ったら、それまで日本語を喋っていたコリアンは突然日本語が喋れなくなる有様。
その上、カウンターから首を伸ばして俺の顔を見てる奴がいる、頭に来たので「何か言いたい事があるなら出て来い」と怒鳴ってしまった。
誰も出て来ないので、最初にオーダーを取ったこれも韓国人の姉ちゃんに「カウンターの中の髯が俺の顔じろじろ見て気分悪いから呼んで来い」と言うと、出て来て詫びるのかと思ったら、「夕べそのテーブルに鞄を忘れたお客さんがいて、自分は始めたばかりでどの席かわからないのでチェックしてた」と下らない言い訳を言いやがった。
埒が開かないので知らん顔している主人らしき野郎に経緯を話して、お前のとこの教育はどうなってるんだと再び怒鳴ってしまった。
只一人フロアーを仕切ってるらしき日本人の女の子だけ何が起きてるのか理解して、ひたすら謝っていたが、他の野郎は謝りもせずおれの顔をじろじろ見るだけ。
挙句の果てに隣の席の中国人のグループの野郎が、「客が必ずしも正しいとは限らない、お前はすぐにでも立ち去るべきだ」と言出だす始末、これにはさすがのおとなしい女房も"none of your business". "you should go"と言い返してたのが只一つの救いだった。
おさまらないので、姉川の社長に散々愚痴を聞いて貰って帰って来た。』

もうしばらくの間日本が浮き上がれる日も来ないみたいだし、配信でも、他力本願を止めて自力本願にし、どこの世界でも生きて行けるユニバーサルな体質を作ってくれと言っている。
僕はオーストラリアのジャパレスで満足なサービスを受けた事が殆ど無い、もうしばらくの間ジャパレスからは離れて暮らすと思う、日本人との付き合いも大幅に狭め、ジャパレスも行きたくなくなるような日本人って一体どんな人種なんだと思う。
 

全てが建前(似非)

  • 2011.07.25 Monday
  • 07:18
JUGEMテーマ:人生論

日本の社会が実に尤もらしく映るが内実は村社会そのものだと言う現実は、日本では外来のものが全て建前に過ぎないからだと思う、日本では仏教さえも建前であり、本音は原始的シャーマニズム神道なのである。
従って、輸入の社会システム自体が建前であり、勿論教育システムも建前に過ぎない。
柳田國男が「綜合無き学術」と言い、新国学として民俗学を打ち立てても、日本人はどんどん深く穴に潜り込むだけで、掘った穴を上から眺めようとしない。

僕が以前拡大再生産に疑問を持って会社を辞めた時、自分の考え方を予備知識が無いうちに書いておこうと名刺代わりに書いた『ワンネス』と言う小冊子の中で書いたものの中に、「括るということ」という文がある、

「目的と手段を考えると、私は常に総論と各論という言葉を思い出す。」
「私は常日頃から「科学」という事に非常に興味を持っていて、分化された学問を掘り下げている先生方を見ると、一体どこ迄掘り下げれば気が済むのだろうとか、途中で一回地上に出て全体像を見た方がいいんじゃないかと思ったりする。」
「まるで南ア連邦のダイアモンドの鉱山のようである。」
「そこで、じゃあ誰が最後の総括りをするのかというと誰も知らない訳で、間口だけは派手に拡げている割には情けない状況のようである。」

これが僕の輸入の学問に対する疑問の始まりであり、和魂洋才の弊害、ひいては日本の特異体質の研究のきっかけになったものに他ならない。
本来括るということこそ、科学の基本である要素還元主義であり、科学の手段である普遍性の追求の筈であるにも拘わらず日本には科学の目的である全能性の追求姿勢はおろか普遍性追及姿勢など無いのである。

つまり日本は明治維新の時、和魂洋才と言って、輸入の学問は輸入したのは良いのだが、各論だけ輸入し総論(洋魂)は岩倉具視の一行が欧州を視察した時、絶対主の下に機能する社会システムを見て、天皇制と競合すると言う事を理由に輸入せず、国家神道をでっち上げ、現人神を創り上げたのである。
その目論見はものの見事に失敗し、第二次世界大戦敗戦と言う結果を招いた事は日本人だったら大体の人間が知っている事と思う。

柳田國男の言った、

「本で外国の理論を読むことも参考にはなるが、それが果して我々の場合に、きっちりと当てはまるかどうかはまた一つの問題である。ことに政策の模倣ということは、日本の新文化の最も醜陋なる一側面であって、近い過去の経験を回顧してみても、まぐれ当りにも当ったものが半分には足りない。」
「どうしてもその他の半ば以上が脆くも挫折し去り、または流弊ばかりを後に遺しているかというと、言わば輸入学説の適用が精確でなかったからで、本当はうわべばかりの猿真似だったからである。」
「かりにも文明国と名のつく国で、日本ほど自ら知らなかった国は少ないだろう。」

これは今だにちっとも変わってないし、

「今日は個人の自由だの平等だのを説きながら、なお依然として実地を省みない概括論を押し通そうとするのである。やがて馬脚を露わすにきまっている。」

これだって、馬脚をあらわしてるんじゃないのか。

結局外観こそ西欧社会に遜色ないが、日本の社会も何もかもが似非って事なんだよね、似て非なるもの、これが日本だって果たして誇りを持って言えるのだろうか?
 

公私混同ならぬ個私混同の悲劇

  • 2011.07.23 Saturday
  • 08:26
JUGEMテーマ:人生論
僕が日本の特異体質、和魂洋才の弊害、輸入の学問の弊害と口を酸っぱくして言っても日本人の大部分が近代文明そのものを理解していない。
僕が輸入の学問の弊害、翻訳文化の弊害と言うように、言葉だけが一人歩きして内容が伴わない、中心に存在すべき哲学が欠如する時、主観だ客観だ、目的だ手段だと論っても空しいだけで尤もらしくは聞こえるが内容を伴わない実に空虚なものである。

つまり、総論に瑕疵があるとき、各論をいくら弄繰り回しても問題は解決出来ないと言う事である。

以前めアメブロに書いた事があるが、日本人は個私混同している人間が多い。

「個とは一人と言う意味である、つまり一と言う事である、
念のため広辞苑を開いてみた。
個・箇(唐音)1.ひとつの物。ひとりの人。多くの中の一つ。
        2.物を数える語。

とあった。

個は英語のindividualの訳であり、individual=indivisible=分ける事が出来ない、分業をdivision of lavourと言う様に、つまり分業が出来ないと言う意味であり、分業が出来ないから自分でやるしかないと言う事である。

日本ではtake care of yourselfと言うのを、気をつけてと訳してしまうので、判りにくいが、これは自分で自分の面倒を看なさいと言う事である。

アメリカでは分業出来ない、分業出来ないと毎日マントラの様に唱え、自分の事は自分でしろと年がら年中言い合っているからこそ、皆個が確立されているとも言える。

日本では個=私と捉えている人が多い、捉えると言うより勘違いに近い、僕も現に何人かの人間から個と私と言う言葉を聞いた事がある。

個の対にあるのは全であり、私の対にあるのは公である、公私混同ならぬ個私混同である。

僕が、「私権の行使と個人の自由を同次元で捉えている限り、個人の自由は理解出来ない」、と言うのもここにある。
僕はよく、「自分の自由と個人の自由は違う」と言うが、自分を限りなく客観視(相対化)して括り出された普遍的な概念が個だからである。」

これ一つとっても日本人が如何に近代を理解していないか理解出来るだろう。

いつも不思議に思うのだが何故教育システムにこういった近代文明の基礎知識が組み込まれていないのか、やはりこれも、「超越的存在」を抜きにして語る事が出来ないからなのか。

よく言うのだが、平成生まれの人間も今じゃ成人しやがて23歳になろうとしている、つまり、今この「近代文明学総論」なり、「自分学」、「個人学」なりを名称はどうあれ教育システムに組み入れれば少なくとも15,6年後には効果が現れる筈なのである。

救いは個人に来るもので集団には来ない

  • 2011.07.05 Tuesday
  • 07:24
JUGEMテーマ:人生論
今回の松本防災大臣のヤクザまがいの暴言と恫喝を見て、日本もここまで来てしまって嘆かざるを得なかった。
かねてより、「ボトムアップで住み難くなる人も居れば、住み易くなる人も居る」とは言っていたもののしっくり行かない。
鳩山さんのようなお坊ちゃまがこれに加担しているのも、彼の所属するフリーメイソンの教えである自由・平等・博愛の精神を忠実に実行してしまったからかも知れない。
これからは、日本もnationとしての国家からstateとしての国家に脱却すべきだと理論上は言えても、自分が所属する大和民族と言うグループがどんどんマイノリティーになって行くのは見るに耐えない。
タブーを顕在化させ、差別を撤廃して等と簡単に言っても、圧力団体の既得権まで反故にするのは並大抵の努力では出来ない。
以前僕はサイバーシャーマンと言うタイトルで、贖罪と原罪、贖罪としての浄財、とか、救いは個人に来るもので、集団には来ないと、もっと精神的、宗教的な話題にも言及してた事があるが、ある時から方針を変更し、そのスピリチュアルな部分は極力削って、論理的に解明出来る範囲で説明する事に力を注いで来た積りである。
僕の考えは今又僕の原点に戻りつつある、つまり、救いは個人に来るものであって、集団に来るものではないというものである。
結局のところ、日本は救いようがないところまで来てしまったという事であり、残された道は、各人が自分と向かい合い、個を確立させ、どんな世界でも生きられるユニバーサルな人間になる事しか無いという事である。
日本の世間は西欧の社会のように、人口の流動性に対応していないと言う意味で、ユニバーサルではない、日本人はすべからくこの普遍性を身に着け、どんな社会でも生きられる柔軟性を見出さなくては生きて行けない。
これからの日本は知性のかけらが微塵も見られない、下衆の社会に変化しつつある、謂わば文化大革命みたいなものなのだ、僕が日本の若者に言える事は只一つ、「自分を持って、自分の信ずる道をひたすら生きて貰いたい、自分で決めた事は悔いが無いが、他力本願だと悔いを残す、自力本願で生きて欲しい」と言う事に尽きるのである。
我々老人は老い先も短いので少しくらいの放射能を吸い込んだところで、別の原因で死ぬ事の方が多い、それと同じなのである、全ての若者に告げたい、追いつけないのは年の差だけである、年の差だけで威張って来る老人の言う事など聞かないで、自分の道を進んで欲しい。
救いは集団には来ない、救いは個人に来るものだからである。 

日本人の無知さ加減を憂う

  • 2011.07.03 Sunday
  • 08:27
JUGEMテーマ:人生論
僕は国際個人学研究所というタイトルでスティッカムjpで平日の午前中配信しているのだが、リスナーの大部分は無関心、残りの半分は、日本人の最大なる特徴の甘えの構造、つまり、内弁慶、負け惜しみ、言い訳の人生の人間で、最後に残った僅かな人間が日本の行く末を憂えているのである。
正直言って僕は日本人とりわけ大和民族は早晩絶滅するのではないかと危惧している。

少なくともこのままの状態を続けたら、そう遅くない内に漢民族に凌駕され、蹂躙され、陵辱される事は間違いない。

今日は僕がヤフーのブログに「愛と死をみつめて」というタイトルで、僕の持病のマクログロブリン血症と言う血液癌の一種の事を綴るブログに、原発事故の後、少しの間、他のブログと同じように日本の特異体質を論じていた時に、病気仲間がコメントして呉れて、最初に無知な自分ですがで始まり、最後に素人の発想でした、と〆られて閉口して反論のコメントすら控え、以来ヤフーには日本人論は載せない事にしたいわくつきのコメントを紹介しよう。
『こんばんは、「サンデル教授」知りません。
無知な自分ですが、ウサマビンラーディンが殺害され派手に喜ぶ米国民の姿が信じられません。
自由って勝ち取るもの、勝者にだけ与えられる物と米国人は思っているからでしょうか?そして正義はかった・・・?
日本人は、戦争に負けて自由を手にした・・・?
私は、日本人は元々自由人だったと思います。
どんなに虐げられても、太陽と水と森と海に感謝して生きてきました。
外国の神は、人の姿をしてますが、日本の神様仏様は宇宙ですから。
(神に成って祭られた日本人もいますが、これは宗教でなく政治ですね)
素人の発想でした・・・。』
「日本人は、戦争に負けて自由を手にした・・・?」、ってとこで引っ掛かったのだが、僕がよく自由は勝ち取るもの与えられた自由は有り難味が薄いものであると書くのが気に入らなかったに違いないと思ったのだ。
その後が酷い、「日本人は元々自由人だったと思います」、教育勅語で現人神を崇めるのが自由なのか、はたまた、士農工商の侍の世の中が自由なのか理解出来ない。
「どんなに虐げられても」っていつ誰に虐げられたんだ、ひょっとしてあんた日本人じゃない?

「外国の神は、人の姿をしてますが、日本の神様仏様は宇宙ですから。」

キリスト教では神の似姿って言って、人が神の姿をしてると言われていて全く判っていない、
日本の神様は宇宙って、森羅万象が神様だとも?
「(神に成って祭られた日本人もいますが、これは宗教でなく政治ですね)」って、
元々日本の神社ってのは人を祀る所じゃないのか、現人神が政治なんでもって、明治神宮は問題になってないのでは?

学問の神と言われている菅原道真を祀った天満宮はどうなのよ?
癌を抱えている事を差っぴいてやっても、この無知さ加減じゃ大和民族は絶滅してもしゃあないでしょう、僕は以来完全にやる気をなくしているのですよ、僕が20年掛かってやっと理解した日本の特異体質及び近代文明の淵源をいとも簡単に生兵法で潰しにかかってくるのだから、恐れ入る。

まあ、大部分の人間は僕が鸚鵡返しと呼んでいる、僕の言葉を只並べ替えて尤もらしくさも判ったように語る人間が多い中正直なだけ良いほうなのかも知れないが、最初と最後の言い訳と負け惜しみの内容は日本人の甘えの構造をもろに表していて頂けない。
 

やわな大和民族は自然淘汰されるのか

  • 2011.07.01 Friday
  • 06:50
JUGEMテーマ:人生論
この世に適者生存survival of the fittestと言う言葉があるが、大和民族は果たして適者なのだろうか。
僕が昨日「日本であって日本でない」と書いたのもここにある、仮令日本が存続したとしてもそれは大和民族の日本じゃなくて漢民族の日本なのかも知れないと言う事である。

「終戦後のある日、柳田は筆者にこう語っている。
「私はね、消えていくものには消えていくだけの理由があり、それを元へ返せなどと考えたことも云ったこともない。」

「しかし今度は違う。滅んではならないもの、滅ぼされてはならないものがある。」

「だがそれを国民にわからせようとするには、わたしは年をとりすぎた。時間がない」
と私の叔父に当る宗教学者の堀 一郎に語ったそうである。
最近僕も変化の潮流に追いついて行けない時がある、又普遍性追求の旅等と称して、国籍を超え、年齢を超え、性別を超えと謳い、自分の理論で自分を追いつめているところもある。
偏見の塊の癖に差別撤廃論を論じるのもしかり、矢張り好き嫌いよりも善悪が優先するので我慢しなくちゃならない時もある、例えば、僕が人間の最大の拡大再生産つまり、種族保存の本能でさえ機能せず、少子化になると、ダウンサイジングは避けられないと言うのは、自分の年金は最早期待出来ないと言っているも同じ事なのである。
でも僕はいつも、自分で選んだ道なら納得出来るが他人の選んだ道だと悔いを残すといって来た、つまり日本の場合もこれと同じなのである、夏目漱石じゃないが外因性、つまり他力によるものだと、納得が行かないのである、僕は全てが自力じゃないと嫌なのである。
ここがエゴのコントロールを他力で行っている一般的な日本人と僕との考え方の只一つの違いだと思う。

この自力であることこそが近代文明の下では重要なのである、僕は若い方達に声を大にして言いたい、「どうか自分の尺度で生きて欲しい、他力本願はやめて自力本願にして欲しい」と。
「賢こい少数の者に引きまわされる危険は、今とても国を脅かしている。判断を長者に一任するという素朴さは、もとは国民の美点だったかも知れぬが、その美点もこれからは改めて検討し、弊害があると心づいたら改良しなければならぬ。」
と柳田國男だって言っているではないか。
ツイッターを覗いて見ると、物乞いツイッターと呼んでいるブローカーの数こそ減ったが、俄かジャーナリスト、俄か政治評論家の数にはいつもながら驚かされる。
それが尤もらしさは誰にも引けを取らない感じで、こんなに頭の良い人が揃っていたら日本の社会はもっと良くなっているだろうにと錯覚すら覚える。

結局は皆建前でしゃべっているので、尤もらしく聞こえるのだ、彼等は恰も政治家も官僚も自分等とは全く違った人種だと思っているのではないかとさえ疑いたくもなる。
今日はあるグループがああでもないこうでもないと八百万の神談義をしていて、これじゃ近代文明なんて理解出来るわけないよなと失望させられた。
こういった類の人間が、個人主義だ自由主義だと訳も判らず言葉のお遊びをしているのかと思うと恐ろしい感じすらする。
柳田國男がかつて、「今日は個人の自由だの平等だのを説きながら、なお依然として実地を省みない概括論を押し通そうとするのである。やがて馬脚を露わすにきまっている。」
と言った通りの事がまさに起こっているのである。
ルースベネディクトが日本に来た事もないのに、『菊と刀』を著し、片や敗戦国の日本は、敵国語を使うまじと野球のセーフをよしと呼んでいたのである。

つまり勉強不足なのである、僕は40になってから近代文明の淵源を探り始め、フィレンツェで祖父の書いた『桃太郎の誕生』がボティッチェリのビーナスの誕生から来ている事を知ったように、疑問を持ったらとことん追求するのが学問であり、それを怠れば国際競争には勝てない。

僕が「近代文明学総論」、「自分学」、「個人学」と造語して提唱する理由はそこにある、つまり輸入の学問には日本人向けの説明が無いからである。
 

日本であって日本でない

  • 2011.06.30 Thursday
  • 05:42
JUGEMテーマ:人生論
ソフトバンクの孫さんは在日韓国人の3世である。
移民大国のアメリカやオーストラリアでは3世代その国にいたら、既に自国民扱いされているのは当然の事だし、自身の自覚もその国民としてのものだと思う。

それが日本では多少事情が違うみたいである。
つまり西欧諸国の移民は自分から好んで移民を望んだのであり、日本の場合は自分の意思でないだけに複雑なのである。
あれだけの愛国心を示した孫さんをスパイ扱いする人間が絶えない。

孫さんも孫さんでクリーンエネルギーの話が出た途端に韓国に行き、イミョンバク大統領と会い、サムスンの太陽電池の手配をしたという話すらある。
噂によればソフトバンクはサーバーを韓国に移し顧客情報も韓国で保管していると言うし、最近は日韓中のITベルトの構築迄提案したと言う。
これが大統領に、竹島は日本の固有の領土だから、少なくとも日本を刺激する行動は慎んで欲しいと提案したなら未だ理解出来る。

本人に訊いてみた訳では無いのでわからないが、生活習慣はかなり韓国風なのではないかとも思う。
僕が以前ハワイに居た頃、日系の4世の女の子が、「私は、習慣だからハグしたりキスしたりしてるけど、未だ違和感があるのよね」と言っていたのを思い出す。

僕は常々、日本はnationとしての国家から、stateとしての国家に脱却すべきだと言い続けて来たが、僕自身偏見のかたまりであるので、内心忸怩たるものがあるのも事実だが、これは避けて通れないと思っている。

つまり潜在化している差別を顕在化させて撤廃するのである。
日本は表面上一民族一種族を建前にし、全ての差別を潜在化させてしまい、タブーが多い社会にしてしまったのであり、それを撤廃しない限り国際化は図れない。

僕はオーストラリアに居るのでよくわかるが、僕の住んでいるところなどは、石を投げれば中国人に当たる程中国人が多い、中国人が世界の人口の4分の1は中国人だと豪語する所以でもある。
最近ニューヨークに行って、黒人とヒスパニックばかりの社会にびっくりした、聞こえる会話は皆スペイン語なのである。

日本も好むと好まざるとに関わらず同じような道を通る事は避けられないのかも知れない、transformationである、柳田國男の追求した開港前の日本人らしさ、或いは彼が第二部と言った開港後の日本人らしさも、近代文明の均質化の波には勝てず、変化し続けているのである。

只一つ言えるのはこれが全て他力だと言う事である、結局蚊帳の外の日本人は海外からの移民に勝てないのである、つまり自分が無いから自力も出ないのである、悪貨は良貨を駆逐するである。
今外国人参政権を許したら日本は最早日本ではない、名前だけ日本であり、今のアメリカ人と言うのが只の符号であるように、国籍の一つと同じになるのである。

僕が差別を顕在化させろと言うのもここにある、そうすれば誰が外国人参政権に賛成しているのかが明確化されるし、破壊的に日本を崩壊に導こうとしている勢力が明るみに出るからである。

少なくともこの日本の社会の陰湿な、閉塞感から脱する事は出来るのではないか。

管の頭脳が今の日本の混乱を端的に表す

  • 2011.06.29 Wednesday
  • 06:25
JUGEMテーマ:人生論

菅さんの最近の動きを見ていると、既に精神的にやんでいるのじゃないかと思われる節がある。

健康な人間だってこの過酷な状況下に置かれたらおかしくなると思うので理解は出来るが、精神的に病んでしまった人間を宰相として置いておくのは不都合である。
菅さんは全共闘の生き残りであり転向組みである、転向組みと言うのは、僕がよく言う「帰って来た特攻隊」である。
特攻隊は本来帰って来てはいけないので、帰って来た特攻隊は罪の意識で自分を責め、屈折してしまうものである。
元はと言えば、この転向組みを宰相に選んだ事がそもそもの間違いなのであるが、これは民俗学が全共闘の生き残りの駆け込み寺に成り下がっていると僕が揶揄するのと同じものである。
つまり西欧普遍主義に傷ついたものがナショナリズムの権化と化して民俗学に救いを求めたのである。

菅さんは先日のソフトバンクの孫さんとの懇談会で、クリーンエネルギーの構想を語った時、自分が議員一年生だった30年前に米国の風力発電を視察し、電気の買取制度について知り、日本に帰って来て日本ではそれが阻止されていると、恰も自分の30年来の夢がやっと実現し始めたかのように、バイオマスを語り、遂には月から地球を見ると創造主の存在を信じざるを得ないと、絶対主の存在を夢見る瞳で語ったではないか。

全共闘というのは良く知らないが、マルキシズム或いはトロッキズムの信奉者の筈であり、革命か構造改革か知らないが、西欧普遍主義にまっこうから対立していたのではないのか。

その人間が地球には創造主がいると信じざるを得ないと言い、絶対主を口にするのは、再度転向したと見れば良いのか、それとも混乱しているだけなのか判らない。

最近も記者会見で、記者の「首相は今回の原発事故でご自身の哲学に何らかの変化があったか」という様な内容の質問に、「又僕の思い出話で申し訳ないが」と前置きして、自分が30年前未だ議員一年生だった頃、米国のNPOを視察して、そこの職員が僅かではあるが給料を貰っていて、そこの経費が全て寄付で賄われている、日本もそんな国になって欲しいと語ったのである。

イタリアは貧乏な国でも事寄付となるとあっと言う間に2億位簡単に集まると聞いた事があるし、西欧諸国ではキリスト教の背景があるので、寄付、チャリティー、ボランティアは極普通に日常化しているのは広く知られるところであり、それこそが日本に欠けている哲学でもある。

この頭の中の混乱こそが日本人の都合の良いとこ取りの表れであり、自殺した人間に、遺族が「パパ天国で待っていてね」と声を掛ける身勝手なのである。
 

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