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    国籍離脱の勧め

    • 2017.07.01 Saturday
    • 14:53

    「前川さんの会見を見て、個人の尊厳、国民主権という言葉から個の確立の重要性或いは規制に必ずしも反対ではないという言葉からは哲学的にリベラルであり政治的に保守と革新に分かれるという基本理念迄共有出来た事は俺にとって実に意義深いものがあった。」


    と以前書いたが、


    前川氏の会見ではっきりした事は彼が憲法に忠実であり、基本的にリベラルで保守と革新に分かれる建前論だという事だ。

    ところが多くの日本人は普遍主義詰まりリベラルを拒絶しているのが本音なのだ。


    リベサヨが建前論で攻めればネットウヨは本音で応戦する、これは建前と本音の戦いなのである。

    然し残念ながら日本にリベラルの生まれる土壌はなくあくまでも建前論なのである、又ネットウヨが頑なに拘る日本は時代逆行であり近代文明を拒絶するものでお互い相容れない。


    今迄は西欧化をよしとしていたので普遍主義礼賛の風潮があった、憲法前文にも人類普遍の原理と謳われていたからなのだがここに来てそれがガタガタと崩れ始めたのだ。

    遂に日本人の本音が本性を現した感じである。


    日本人が建前と本音を使い分ける限り日本人に文明化は望めず、和魂洋才の捻れは続くのだ。

    一つ言える事は日本人は個も論も欠如するので普遍主義、その基本である自他の哲学ひいてはリベラルを導き出せないのだ、従って哲学的にリベラルを前提に保守と革新が機能する土壌も生まれないという事だ。


    これが俺が国籍離脱を決意した理由だが、こんな環境に身を置いたらおかしくならない方がおかしいのだ。


    何度も書いたが、西洋人は一時的に心と身体を話して科学、ひいては近代文明を発展させたが、逆に日本人は近代文明により無理矢理に心と身体を引き裂かれ一億総分裂症になった。


    「和魂洋才とは外面と内面を使い分けるということである。これこそまさに精神分裂病質者が試みることである。あるいはこう言った方がよければ、ある危機的状況にあって、外面と内面との使いわけというこの防衛機制を用いることが、精神の分裂をもたらすのである。」


    かの岸田秀氏も『ものぐさ精神分析学』で書いているではないか。


    悪い事は言わない、狂いたくなければ日本を去る事だ。



    前川さんの会見に想う

    • 2017.06.24 Saturday
    • 15:44

    下記は最近の自分にツイを並べたものである。


    前川さんの理路整然とした会見清々しかったよね、仏法を極めた顔付、彼が後輩に贈った言葉、個人の尊厳、国民主権、官僚も政治家も家に帰れば一個人、一国民と俺が言う所以だ。

    彼は必ずしも規制に反対ではない、これが俺がいつも言うところの哲学的にリベラルでその下に保守と革新があると言う事だ。


    前川さんは思想的に何かあるなとは思ったが仏法だったとは、面従腹背が座右の銘という事も理解出来る、個人の尊厳、国民主権もそこから来る。

    個が無に対峙するナチュラリズム、片や個が全に対峙するヒューマニズム、無と全の間を行ったり来たりするホーリズム(トータリタリアンではない)の日本人。


    前川さんの会見を見て、個人の尊厳、国民主権という言葉から個の確立の重要性或いは規制に必ずしも反対ではないという言葉からは哲学的にリベラルであり政治的に保守と革新に分かれるという基本理念迄共有出来た事は俺にとって実に意義深いものがあった。


    俺はオーストラリアに帰化する事で和魂洋才の捻れから逃れ洋魂洋才の環境で哲学的にもリベラル政治的にもリベラルを標榜出来る様になったと言ってるが、田原総一郎でさえ自由主義国は哲学的にリベラルでその下に政治的に保守かリベラルがあるって理解してないから日本人には無理な話なのかも知れない。


    田原総一郎が高校生に他の国は保守とリベラルの二大政党制なのに、日本は両方ともリベラルだから対案が出せないとか説教垂れてたが、彼は以前も明治維新で西欧では一神教だから現人神にしたとか曖昧にぼかしてたけど、西欧は普遍主義つまり政治的にリベラルの元に保守と革新があると何故言わないのだ。


    俺が25年日本の特異体質を追求して出た結論が国籍離脱だったという事を日本人はもっと深く考えた方が良いよ、和魂洋才の捻れは衆参の捻れなんて簡単なもんじゃない、政治的にリベラルを唱えるには哲学的にもリベラルにならなきゃ駄目よ、アメリカは哲学的にリベラルでその下に保守とリベラルが来る。


    俺は暇な事を良い事に毎日朝から晩まで如何にしたら日本は救われるか考えているが、今の所望みはない、第一に救いは個人に来るもので集団には来ない、早く個の確立が出来るようになって欲しいものだ、神が居ないから個の確立が出来ないのではなく、個の確立が出来ないから神が居ないのだ。


    俺は皆様の様に自慢できるものは女房以外に何もないですが、皆様の様に毎日が他人を腐し足を引っ張り会って生きないで済むだけ余程幸せだと思っています、これからも洋魂洋才の社会オーストラリアでひっそりと死ぬ迄生きたいと思います。


    霊に導かれ

    • 2011.08.18 Thursday
    • 06:51
    JUGEMテーマ:人生論
    霊に導かれ始まり、霊に導かれ終わる、
    思えば長い道のりだったが、20年前に始めた日本の特異体質の追究の旅も漸く終わろうとしている。
    切っ掛けは先日の終戦記念日での出来事であり、祖父が余りにも憤慨する孫を見かねてメッセージを送って呉れたものと確信した事である。
    「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」
    この会話の中に全てが集約されていた、「潔く死ぬ事を美しいとする民族」これこそ聖俗未分離の特徴である全か無か、オールオアナン、つまり全面勝利か玉砕の二分法、自虐か美化の二分法なのであり、僕が口を酸っぱくして言う、日本人は真善美を輸入した時、順番を美善真と並べ替え真が最後に来る、美意識先行型のものに作り変えてしまったと言う所以なのである。
    日本人はこの聖俗未分離状態、つまり個=1が括り出されてない状態を続ける限り、近代文明を理解する事が出来ず、従って、科学者でさえ科学的でないという、論も個も無い状態に留まるのである。
    聖俗未分離というのは、イスラム教の聖俗一致に世相は似ているが一度分離したものを一致させるのと違い問題が多い、僕がよく、日本人はイラクやアフガンみたいにアメリカの押し付けの自由を拒み続けているのと同じだと言うように、かつての人間魚雷、特攻隊はイスラムの爆弾テロ、所謂スイサイドボマーと同じなのである。
    敗戦と共に天皇が人間宣言をし、柳田國男の所謂「国の礎」を失い、心の拠り所を失った日本人はカルトに走り、現在のような混沌とした国民不在の社会を作り上げてしまった。
    更に最悪な事に日本国民は僕が言う大人になりたくないシンドローム、所謂ピーターパンシンドロームの為に自由よりも秩序を選択し、民主党を選び左傾化してしまったのである。
    僕が揶揄する世間主義人民共和国は既に社会主義人民共和国へと積極的に様変わりしているのである。
    柳田國男がかつて、「個人だ自由だと概括論を通していると今に馬脚を現す」と言ったように、今まさに馬脚を現しているのである。
    これは憲法の前文にある「人類の普遍的原理」に逆行する行為であり、日本はプレモダンから脱却する事なく、安易に左傾化の道を選び、主体性の無い、独立国とは言いがたい状態になり、国民に自分が欠如する為に国家にも主体性つまり主権が無い事にも気付かずに推移しているのだ。
    これ以上個の確立を説くのも無駄と判断した為、これをもちまして僕の日本の特異体質追究の旅を終わらせて頂きます。
     

    敗戦の原因、全と無の二分法

    • 2011.08.15 Monday
    • 06:02
    JUGEMテーマ:人生論
    柳田國男がかつて、「敗戦の原因は100年経たないと判らない」というような事を言ったが、以前も書いたがルースベネディクトが日本に一度も来る事なく恥の文化でお馴染みの『菊と刀』を著したように、敵は和魂を知り尽くしていた傍ら、日本と言えば敵国語を使用する事を禁じ野球のセーフをよしと呼んでいたのである。

    つまり、相手を知らな過ぎるのである、その状態は今でも何ら変わっちゃいない、日本人は近代文明を知らな過ぎるし、又知ろうともしない。
    日本は和魂洋才と言って洋才だけを輸入し、洋魂は天皇制と競合するので輸入せず、その代わりに国家神道をでっちあげ、敗戦に導いたのは揺ぎ無き事実でもあり、以来洋魂を知ろうともしないのである。

    4月26日の日記で自虐と美化の二分法と言うタイトルで書いた通り、僕は日本人の善と無の間を行ったり来たりする、聖俗未分離つまり個=1が括り出されていない状況は日本人にとって致命的だと思っている。
    これが有る限り、日本人は科学的に論理的にものごとを考える事が出来ないのである、つまるところ第二次世界大戦に負けたのもこれが原因だったと言っても過言ではない。

    今回の原発事故しかりである、何故日本には原発推進か脱原発の二分法しかないのか、これこそ聖俗未分離、全か無か、オールオアナンの特徴ではないのか。

    僕は哲学的には西欧普遍主義をとっているが、政治的には大和民族党であり、幾らフリーメイソンを信じていても鳩山さんのように拉致加害者支援団体に献金するような国益に反する行為は断じて許せない、謂わばマイルド桜チャネルみたいなものだ。

    確か五木寛之さんの言葉だと思ったが「記憶と記録」と言うように、記録は変えられても記憶は変えられない、つまり、いくら南京大虐殺はなかった、南京の人口は20万人だから30万人は殺せないと言っても、中国人にとって30万と言うのは只単に大量と言う意味でもって八百万の神と一緒である、ましてや敗戦国の日本が東京裁判で良い様に扱われたと言っても、負けは負けである。

    それに、靖国神社参拝とアーリントン墓地にお参りするのを同次元で捉えるのも、いくら新仏習合だったとは言え難しい。
    アーリントン墓地はあくまでも墓地であり、靖国神社は人間を神格化した神社である、あそこに祀られている戦没者だって地元に帰れば墓がある筈であり、墓参りと神社へのお参りは違うだろう。
    この糞味噌一緒を西洋人に理解せよと言っても、難しいと思うし、戦勝国にとってはA級戦犯合祀は願ってもない攻めどころである。
    つまりこの全か無か、一か八か、当たるも八卦当たらぬも八卦の糞味噌一緒の状況が第二次世界大戦の敗戦の原因でもあるのだ、全面勝利か玉砕かの二分法がそれを端的に表しているではないか。

    柳田國男は「神道はキリスト教が欧州を席巻する以前の世界の宗教である」と言った、つまりギリシャ神話と同次元の原始宗教なのである。
    つまりイタリアルネサンスでキリスト教をも科学し、デカルトが『方法序説』で二元論を唱える以前の中世のままなのである。

    又こうも言っている、「まず、『文化』とは何ぞやと言う事である。私などの意見では、文化は『改良』の意である。より良くなる事、つまり原始という語に対立するもので、従って『原始文化』の語自身が一つの矛盾であると思う。」
    つまり、神道を日本の文化であり、遅れではないと言い逃れする事は出来ないのである。
    この聖俗未分離の状況こそが日本の特異体質の原因であり、日本に於ける諸悪の根源だと言っても過言ではない。

    世の学者さん達は、これは文明の違いであり、文化の違いでありと遅れと言いたくないばかりに違いばかり強調するが、これを遅れと呼ばないでなんと呼べば良いのだ。
    つまり学会すら世間であり、学者も「甘えの構造」にどっぷり浸かり、言い訳、負け惜しみの内弁慶状態になっていると断言しても間違いは無い。

    学者さんは所謂世間を壊すのは不可能であると言うが、壊さないまでも依存心を捨てる位出来るだろうに、この依存心こそが日本人を独立から阻んでいる元凶なのだから。

    結論を言えば、聖俗未分離状態は、日本人を論理的思考から遠ざけ、科学的に思考、行動する事を阻んでいるのであり、これから脱却しない限り、日本では科学者すら非科学的であり、全てが似非、似て非なるものになってしまう、これこそが、日本の社会が外見だけは尤もらしく社会システム、教育システムを含む外来のもの全てが建前で内実陰湿で閉鎖的であり、閉塞感のある窮屈な原因なのである。
     

    自由か秩序の二分法

    • 2011.08.10 Wednesday
    • 07:02
    JUGEMテーマ:人生論
     ♪心が寒い心が痛い夢がお互いに違っていたのね♪

    五月の初旬位に「エートスとパトス」ってタイトルで書いた覚えがあるが、

    結局日本人の情緒なんだよね、パトスと言うか、
    民主党を選んじまったなんてのは完全にパトスに属するんじゃないか、つまりエートスの欠如よね、

    僕はスティッカムで配信を毎日のようにしていて、いつも思うんだけど、日本人が何が欲しいのかが今一つわからないんだよ、

    つまり、どんな国が良いとか、今の社会主義化した世間主義人民共和国のままが良いのか、天皇の赤子として甘えの構造のままの明治憲法に戻したいとか、はたまた戦後押し付けられた、人類の普遍的原理に基づく昭和憲法のもとで、自由主義、個人主義の国として再出発したいのか、結局何もわからないのよ。

    前から言うように、聖俗未分離で個=1が確立されていない状況だと、右や左、西や東に良いように流されちゃうんだよね、国民に自分が無ければ国家に自分があるわけもなく、主体性がなければ主権国家と呼べないんだし、国民が他力本願だったら国家だって他力本願になるに決まってる事すら理解してないみたいで、僕は悲しいんだ。

    情緒ってのはこんな感じなんだよ、それは自分の彼氏や国を批判されれば気に入らないだろうけど、自分で批判しておいて、そうだねと頷かれるとむかつくあれに似てるのよね、

    そうでしょ、例えば彼氏の愚痴を言う女性に下手にそうだ、そうだなんて相槌打とうものなら「貴方って本当に酷い人ね」なんて言われてしまうのがつきものでしょ、

    今の日本人と僕の関係ってそんなものかも知れないと思うんだ、僕は日本人の大部分が自由主義、個人主義を望んでいると思っていたので、一生懸命日本の特異体質を論い、個の確立を説いて来た積りだったのだが、何の事はない、皆が日本の事を悪く言ったり、愚痴を言ったりするのは、前述の彼女ののろけみたいなものだったのだって最近判って来たんだよ、結局あたしの愛している日本の事を悪く言うのはけしからんと言う事でしょ。

    詰まるところ日本人は自由よりも秩序が欲しいのでもって、大人になりたくないんでしょ、所謂ピーターパンシンドロームなのよ。

    ここが僕と一般的な日本人との決定的な分かれ目なんだと思う、自由を取るか秩序を取るかの二分法なんだ。

    最悪のシナリオ

    • 2011.08.08 Monday
    • 07:03
    JUGEMテーマ:人生論
    僕は正直言って日本の社会が益々自由主義、個人主義の西欧風社会に変化して行くものと信じ込んでいた。
    まさか左翼過激派の残党が世間主義人民共和国を社会主義人民共和国に無理矢理に捻じ曲げようとするなど想像だにしなかった。

    以前も日本の社会を世間主義人民共和国と揶揄し、自由主義、個人主義と言わなければ未だ良いなんて言っていたし、日本人は結局大人になりたくない症候群、ピーターパンシンドロームで、結局自由よりも秩序が欲しいんだ等とも言っていた。

    「聖俗未分離というのは、聖俗一致のイスラム社会と一緒とも言えるから、イラク、アフガンがアメリカからの押し付けの自由に激しく抵抗しているのと一緒とも言える。」

    「結局大人になりたくないってのは、自由よりも秩序が欲しいと言う事であって、僕が二度手間の国オーストラリアと片手間の国日本と揶揄するように、個の扱い方によって、自由を選ぶか秩序を選ぶかの究極の選択というものが生じ、たまたま僕はオーストラリアを選んだようなものなのかも知れない。」

    こんな事を書いていた事もある、

    「二度手間の国オーストラリアにいると、あの社会主義を思わせる、何でもシステマチックな日本が懐かしくなる、これを、自由を取るか秩序を取るかの二分法で解決するわけにも行かず、あの全てが建前の国日本と全てが二度手間の国オーストラリアの狭間で悩んでいる人も多いだろう。
    これは、個が社会より先に来るか、後に来るかで決まっているみたいである、つまり、個が先に来ると二度手間になり、個を片手間に扱うと秩序は保てるが適応障害になる。」

    社会主義にすれば聖俗分離させる必要もないし、つまり個の確立の必要が無いと考えるのは余りにも短絡的である。
    何回も言うようだが、日本の置かれている立場は東のナチュラリズムでもなし、西のヒューマニズムでもない、どっちつかずの、謂わばイソップの蝙蝠状態、ある時はファーイースト、ある時はファーウェストのご都合主義なのであり、ホーリズムとか全体主義とか主体性を持った積極的な主義主張ではないのである。
    これを自覚もせず安易に捻じ曲げようとするのは、時代逆行の蛮行である。

    これで外国人に参政権を許し、人権擁護法案を通し、ネット規制を強化するなら、最早政治亡命を考えなければならない状況とも言える。

    これ以上自然の摂理に反する決断あがあるだろうか、これは僕にとっては最悪のシナリオであり、まさに時代逆行の蛮行である。
     

    良い様に扱われる日本人

    • 2011.08.06 Saturday
    • 20:03
    JUGEMテーマ:人生論
    オーストラリアに住んでいると、特に僕の住んでいる場所は石を投げれば中国人に当たるという感じの場所であり、十年後はオーストラリアの大部分が中国人に占拠されてしまう気もする。
    今日もそれを象徴する出来事があった、日本人の経営するジャパレスでさえ最早日本のサービスは期待出来ないのである。
    それに、自分が東京育ちのぶっ飛んでる日本人だからなのか知らないが、僕には既に最近のシドニーにいる日本人の若者が何を考えているかすら理解出来ないのである。
    僕は思想的には西欧普遍主義だが政治的には大和民族党でると言って憚らない人間であるが、本来日本人のテリトリーである筈のジャパレス迄が中国人、韓国人に我が者顔に振る舞い、占拠されている状況を見ると、慙愧に耐えない想いである。
    今日も帰って来てから女房にもう日本人に英語が教えられる資格を早急に取って、日本に帰り日本人の為に戦いたいと言ってやった。
    何故日本人はかくも他国人の言いなりで、良い様に小突き回されて平気なのか僕には理解出来ない。

    『女房が隣駅に新しく出来たジャパレスの”重兵衛”に行こうってので付き合った。
    結果最悪、ビールと枝豆先に持って来てと行ったのにも拘わらず、玉子焼きを先に持って来て、挙句の果ては大根おろしに醤油も持って来ない。
    醤油の小皿迄付いてるのに、大根おろしには醤油だろと言っても理解していない。
    カウンターに行って文句を行ったら、それまで日本語を喋っていたコリアンは突然日本語が喋れなくなる有様。
    その上、カウンターから首を伸ばして俺の顔を見てる奴がいる、頭に来たので「何か言いたい事があるなら出て来い」と怒鳴ってしまった。
    誰も出て来ないので、最初にオーダーを取ったこれも韓国人の姉ちゃんに「カウンターの中の髯が俺の顔じろじろ見て気分悪いから呼んで来い」と言うと、出て来て詫びるのかと思ったら、「夕べそのテーブルに鞄を忘れたお客さんがいて、自分は始めたばかりでどの席かわからないのでチェックしてた」と下らない言い訳を言いやがった。
    埒が開かないので知らん顔している主人らしき野郎に経緯を話して、お前のとこの教育はどうなってるんだと再び怒鳴ってしまった。
    只一人フロアーを仕切ってるらしき日本人の女の子だけ何が起きてるのか理解して、ひたすら謝っていたが、他の野郎は謝りもせずおれの顔をじろじろ見るだけ。
    挙句の果てに隣の席の中国人のグループの野郎が、「客が必ずしも正しいとは限らない、お前はすぐにでも立ち去るべきだ」と言出だす始末、これにはさすがのおとなしい女房も"none of your business". "you should go"と言い返してたのが只一つの救いだった。
    おさまらないので、姉川の社長に散々愚痴を聞いて貰って帰って来た。』

    もうしばらくの間日本が浮き上がれる日も来ないみたいだし、配信でも、他力本願を止めて自力本願にし、どこの世界でも生きて行けるユニバーサルな体質を作ってくれと言っている。
    僕はオーストラリアのジャパレスで満足なサービスを受けた事が殆ど無い、もうしばらくの間ジャパレスからは離れて暮らすと思う、日本人との付き合いも大幅に狭め、ジャパレスも行きたくなくなるような日本人って一体どんな人種なんだと思う。
     

    全てが建前(似非)

    • 2011.07.25 Monday
    • 07:18
    JUGEMテーマ:人生論

    日本の社会が実に尤もらしく映るが内実は村社会そのものだと言う現実は、日本では外来のものが全て建前に過ぎないからだと思う、日本では仏教さえも建前であり、本音は原始的シャーマニズム神道なのである。
    従って、輸入の社会システム自体が建前であり、勿論教育システムも建前に過ぎない。
    柳田國男が「綜合無き学術」と言い、新国学として民俗学を打ち立てても、日本人はどんどん深く穴に潜り込むだけで、掘った穴を上から眺めようとしない。

    僕が以前拡大再生産に疑問を持って会社を辞めた時、自分の考え方を予備知識が無いうちに書いておこうと名刺代わりに書いた『ワンネス』と言う小冊子の中で書いたものの中に、「括るということ」という文がある、

    「目的と手段を考えると、私は常に総論と各論という言葉を思い出す。」
    「私は常日頃から「科学」という事に非常に興味を持っていて、分化された学問を掘り下げている先生方を見ると、一体どこ迄掘り下げれば気が済むのだろうとか、途中で一回地上に出て全体像を見た方がいいんじゃないかと思ったりする。」
    「まるで南ア連邦のダイアモンドの鉱山のようである。」
    「そこで、じゃあ誰が最後の総括りをするのかというと誰も知らない訳で、間口だけは派手に拡げている割には情けない状況のようである。」

    これが僕の輸入の学問に対する疑問の始まりであり、和魂洋才の弊害、ひいては日本の特異体質の研究のきっかけになったものに他ならない。
    本来括るということこそ、科学の基本である要素還元主義であり、科学の手段である普遍性の追求の筈であるにも拘わらず日本には科学の目的である全能性の追求姿勢はおろか普遍性追及姿勢など無いのである。

    つまり日本は明治維新の時、和魂洋才と言って、輸入の学問は輸入したのは良いのだが、各論だけ輸入し総論(洋魂)は岩倉具視の一行が欧州を視察した時、絶対主の下に機能する社会システムを見て、天皇制と競合すると言う事を理由に輸入せず、国家神道をでっち上げ、現人神を創り上げたのである。
    その目論見はものの見事に失敗し、第二次世界大戦敗戦と言う結果を招いた事は日本人だったら大体の人間が知っている事と思う。

    柳田國男の言った、

    「本で外国の理論を読むことも参考にはなるが、それが果して我々の場合に、きっちりと当てはまるかどうかはまた一つの問題である。ことに政策の模倣ということは、日本の新文化の最も醜陋なる一側面であって、近い過去の経験を回顧してみても、まぐれ当りにも当ったものが半分には足りない。」
    「どうしてもその他の半ば以上が脆くも挫折し去り、または流弊ばかりを後に遺しているかというと、言わば輸入学説の適用が精確でなかったからで、本当はうわべばかりの猿真似だったからである。」
    「かりにも文明国と名のつく国で、日本ほど自ら知らなかった国は少ないだろう。」

    これは今だにちっとも変わってないし、

    「今日は個人の自由だの平等だのを説きながら、なお依然として実地を省みない概括論を押し通そうとするのである。やがて馬脚を露わすにきまっている。」

    これだって、馬脚をあらわしてるんじゃないのか。

    結局外観こそ西欧社会に遜色ないが、日本の社会も何もかもが似非って事なんだよね、似て非なるもの、これが日本だって果たして誇りを持って言えるのだろうか?
     

    公私混同ならぬ個私混同の悲劇

    • 2011.07.23 Saturday
    • 08:26
    JUGEMテーマ:人生論
    僕が日本の特異体質、和魂洋才の弊害、輸入の学問の弊害と口を酸っぱくして言っても日本人の大部分が近代文明そのものを理解していない。
    僕が輸入の学問の弊害、翻訳文化の弊害と言うように、言葉だけが一人歩きして内容が伴わない、中心に存在すべき哲学が欠如する時、主観だ客観だ、目的だ手段だと論っても空しいだけで尤もらしくは聞こえるが内容を伴わない実に空虚なものである。

    つまり、総論に瑕疵があるとき、各論をいくら弄繰り回しても問題は解決出来ないと言う事である。

    以前めアメブロに書いた事があるが、日本人は個私混同している人間が多い。

    「個とは一人と言う意味である、つまり一と言う事である、
    念のため広辞苑を開いてみた。
    個・箇(唐音)1.ひとつの物。ひとりの人。多くの中の一つ。
            2.物を数える語。

    とあった。

    個は英語のindividualの訳であり、individual=indivisible=分ける事が出来ない、分業をdivision of lavourと言う様に、つまり分業が出来ないと言う意味であり、分業が出来ないから自分でやるしかないと言う事である。

    日本ではtake care of yourselfと言うのを、気をつけてと訳してしまうので、判りにくいが、これは自分で自分の面倒を看なさいと言う事である。

    アメリカでは分業出来ない、分業出来ないと毎日マントラの様に唱え、自分の事は自分でしろと年がら年中言い合っているからこそ、皆個が確立されているとも言える。

    日本では個=私と捉えている人が多い、捉えると言うより勘違いに近い、僕も現に何人かの人間から個と私と言う言葉を聞いた事がある。

    個の対にあるのは全であり、私の対にあるのは公である、公私混同ならぬ個私混同である。

    僕が、「私権の行使と個人の自由を同次元で捉えている限り、個人の自由は理解出来ない」、と言うのもここにある。
    僕はよく、「自分の自由と個人の自由は違う」と言うが、自分を限りなく客観視(相対化)して括り出された普遍的な概念が個だからである。」

    これ一つとっても日本人が如何に近代を理解していないか理解出来るだろう。

    いつも不思議に思うのだが何故教育システムにこういった近代文明の基礎知識が組み込まれていないのか、やはりこれも、「超越的存在」を抜きにして語る事が出来ないからなのか。

    よく言うのだが、平成生まれの人間も今じゃ成人しやがて23歳になろうとしている、つまり、今この「近代文明学総論」なり、「自分学」、「個人学」なりを名称はどうあれ教育システムに組み入れれば少なくとも15,6年後には効果が現れる筈なのである。

    救いは個人に来るもので集団には来ない

    • 2011.07.05 Tuesday
    • 07:24
    JUGEMテーマ:人生論
    今回の松本防災大臣のヤクザまがいの暴言と恫喝を見て、日本もここまで来てしまって嘆かざるを得なかった。
    かねてより、「ボトムアップで住み難くなる人も居れば、住み易くなる人も居る」とは言っていたもののしっくり行かない。
    鳩山さんのようなお坊ちゃまがこれに加担しているのも、彼の所属するフリーメイソンの教えである自由・平等・博愛の精神を忠実に実行してしまったからかも知れない。
    これからは、日本もnationとしての国家からstateとしての国家に脱却すべきだと理論上は言えても、自分が所属する大和民族と言うグループがどんどんマイノリティーになって行くのは見るに耐えない。
    タブーを顕在化させ、差別を撤廃して等と簡単に言っても、圧力団体の既得権まで反故にするのは並大抵の努力では出来ない。
    以前僕はサイバーシャーマンと言うタイトルで、贖罪と原罪、贖罪としての浄財、とか、救いは個人に来るもので、集団には来ないと、もっと精神的、宗教的な話題にも言及してた事があるが、ある時から方針を変更し、そのスピリチュアルな部分は極力削って、論理的に解明出来る範囲で説明する事に力を注いで来た積りである。
    僕の考えは今又僕の原点に戻りつつある、つまり、救いは個人に来るものであって、集団に来るものではないというものである。
    結局のところ、日本は救いようがないところまで来てしまったという事であり、残された道は、各人が自分と向かい合い、個を確立させ、どんな世界でも生きられるユニバーサルな人間になる事しか無いという事である。
    日本の世間は西欧の社会のように、人口の流動性に対応していないと言う意味で、ユニバーサルではない、日本人はすべからくこの普遍性を身に着け、どんな社会でも生きられる柔軟性を見出さなくては生きて行けない。
    これからの日本は知性のかけらが微塵も見られない、下衆の社会に変化しつつある、謂わば文化大革命みたいなものなのだ、僕が日本の若者に言える事は只一つ、「自分を持って、自分の信ずる道をひたすら生きて貰いたい、自分で決めた事は悔いが無いが、他力本願だと悔いを残す、自力本願で生きて欲しい」と言う事に尽きるのである。
    我々老人は老い先も短いので少しくらいの放射能を吸い込んだところで、別の原因で死ぬ事の方が多い、それと同じなのである、全ての若者に告げたい、追いつけないのは年の差だけである、年の差だけで威張って来る老人の言う事など聞かないで、自分の道を進んで欲しい。
    救いは集団には来ない、救いは個人に来るものだからである。 

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