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    西欧普遍主義

    • 2011.05.28 Saturday
    • 07:30
    JUGEMテーマ:人生論
    僕はよく、「柳田國男は西欧普遍主義に反対こそすれ、傷ついてはいなかった」と言い続けて来た。

    これを再度岸田理論にあてはめれば、柳田國男の発言も理解できるし、國男が開港前の日本人らしさに拘ったのも理解できる。
    「日本人の大多数は、まるで魚か渡り鳥の群れのように、みんなのする通りに行動するのが、最も安全なる活き方だと、信じているかと思うような、個性の没却が常の習いになっている。これには我々のまだ知らない深い原因があり、これによってこの奇抜な風土に適応し、種の保存には成功し、しばしば繁栄の機会をつかみ得たのかもしれないが、その代りには背後に血と涙と汗と、少なく流れるを喜ぶべき液体が多量に流れる。デマゴーグの最も効を奏しやすい国であり、普通選挙の根っから張り合いのない国でもあったのである。」
    僕が「民俗学は全共闘の生き残りの駆け込み寺化してしまった」と嘆き、即ち西欧普遍主義に傷ついた人間の心の拠り所つまり、ナショナリズムの巣窟になった理由も理解できる。
    それではもう一度岸田理論を検証してみよう、
    「結局、日本人が日米戦争あるいは経済成長によって解決しようとした問題、すなわし外的自己と内的自己との分裂の問題は以前として解決されずに残っている。日本人の自己同一性は以前として不安定である。外的自己と切り離されて純化された内的自己の一つの重要な形態である尊皇攘夷思想は、戦後も一つの底流として流れつづけており、ときどき表面まで吹き出してきて、山口二矢の浅沼書記長暗殺や三島由紀夫の割腹自殺のような事件を惹き起こす。彼等を時代錯誤的と決めつけても問題は解決しない。彼らは時代錯誤的なのではなく、戦後抑圧されている日本人の人格の反面を純粋な形で表現したのである。」
    これが僕が前述した、ハワイの入管での会話、「パールハーバー爆撃に失敗したので、今回はハワイを買いに来た。」というジョークなのである。
    「日本人がとくに外国人に示す例の無意味な笑いも、これと一連の症状であって、まさしく分裂病者のうつろな笑いと同質のものである。それが無意味なまたはうつろな笑いと見えるのは、内的感情と切り離された無関係なところで、顔の筋肉だけが笑っているからである。このような笑いは、外的自己と内的自己とが分裂している者にしか可能でない。」
    これが岸田さんが仰るようにペリーショックで傷ついて自分を殺してしまったのか、最初からなかったのは定かでない。
    柳田國男だって明治八年生まれで、開港前の日本を知っていたわけではない、僕が戦前の日本或いは戦中の日本を知らないのと一緒である。
    然しながら島国で外国からの侵略を一度も受けた事なく、所謂、「国家形成が早かった為統一規範としての宗教が必要なかった」と言う決まり文句の通り、聖俗未分離で自己完結型の論理の中で暮らして来た日本人の事であるから推して知るべしである。
    つまり、ペリーショックは相当強かったと言う事だろう。
    「ペリー・ショックが日本人に与えた心の傷はまだ癒えていない。それを癒すためには外的自己と内的自己との統一が必要である。この統一が成れば、そこに自己同一性の基礎を見出すことが出来る。従来の統一の試みが失敗したのは、外的自己と内的自己とのどちらかが一方を隠蔽あるいは排除して他方のみを自己と認め、無理やりにその半端な自己を自己の統一的全体とみなそうとしたからである。あるいは、この両自己を切り離したまま使いわけようとしたからである。あるいは、この両自己の対立をいい加減な妥協形成によって糊塗しようとしたからである。」
    いずれにせよ、日本人は柳田國男が民俗学は内省の学問であると主張した通り、内省が必要なのであり、とりわけ必要なのは、柳田國男が新国学として民俗学を提唱した事を再考し、一介のお化け好き爺さんというイメージを払拭し、ナショナリズムの権化となることなく、イタリアルネサンスならぬ、文芸復興を図る事である。
     

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