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    真の自由とは

    • 2011.05.12 Thursday
    • 08:23
    JUGEMテーマ:人生論
     引用ばかりで申し訳ないが、僕が祖父を引用すれば全て孫引きって冗談もあるくらいなので、少しの間ご容赦頂きたい。

    柳田國男は「青年と学問」の中で「漫遊者の記録」と題して俳諧を評してこう述べている。

    『「けだし俳諧の自分たちを感動せしめる部分は、実は多数の俳人の弄んでいる発句の方には少ない。これに反して俳諧の連句の方は、生憎と表現に無理が多くて難解ではあるが、わかりさえすればことごとく近世生活の実写であり、しかもその約四分の一は、作者自身の旅行の産物であった。」
    「四分の一と勘定したのは変であるが、その他の四分の一は家庭の日常経験から、他の四分の一は読書と瞑想から、残りは古文学の口真似であるゆえに、そう言ってみたのである。」』

    柳田國男が旅行好きなのは自他共に認めるところであり、以前柳田國男が家に居ないで旅行ばかりしていたのは、養子で肩身が狭かったからだと言った人が居たそうだが、新井喜美夫氏は「「日本」を捨てろ」という本の中で、宮本武蔵と松尾芭蕉をとりあげて以下の様に述べている。

    『「剣にしても禅にしても、またその他の芸術にしても、いわゆる「道」をきわめるという表現は、このような文化的なもの、精神的なものの神髄は、とても固定された「ムラ社会」の中には存在していないことを示している。」〈中略〉

    「ほとんどの大衆が易々諾々として、「ムラ社会」に対する帰属意識しか持ちあわせていなかった時代に、芸術や文化、あるいは兵法や宗教などを通じて、自らの自己実現をこころみたことは、まさに特筆すべきであったろう。」』

    柳田國男が当然の様に四分の一は旅行、四分の一は読書と瞑想と言う様な生活はなかなか期待出来るものではないが、彼が自然に身に付けたものを分析し科学的に再構築する事により高次の認識を身に付ける努力が凡人である筆者には必要なのかもしれない。(この部分は筆者が以前書き記したものです)

    ウォルフレンがかつてこう書いていた、

    『「自国への愛を表現するにあたってのこの障害は、どうすれば取り除けるのか。それを可能にするためには、通常の思考の枠から、大きくはみ出していくことが必要である。」
    「それができるかどうかに、あなたの個人の人生を含めた、多くのことがかかっている―それを、本書を通じて、私はあなたに分かってほしい。」』

    枠ってのは超えてみないと見えないものなのです、狭い世間の中で拘束されながら愚痴を言って暮らすのが一番楽です、ぬるま湯につかっていたら真の自由は味わえません、これが別宮先生が「『あそびの』哲学」 の最後に太字でお書きになった、「あなたはほんとうの自由に耐えられるか?」なのです。

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