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    歴史は遡るもの

    • 2011.05.11 Wednesday
    • 12:21
    JUGEMテーマ:人生論
    10年前に僕はこんな事を書いていた。

    『戦後の事を考えると、日本にはタブーが多くて気を遣う事が多いと感じので、私は最近近世史をさらい直そうかと思っている。日本人のメンタリティーを知る為には戦後の事をもっと良く知らなければならないからである。
    天皇制の事、国家神道の事等日本人の心の中に根強く残っていると思われるからである。
    敗戦により「和魂」が負け「洋才」だけが残った。かと言って「洋魂」になる訳にも行かず、魂を抜かれた儘五十年以上過ぎてしまった。
    善かれ悪かれ魂は必要である。

    「歴史は遡るものである」と考える柳田國男も曾て同じ事を言っていた。

    「私は終戦の次の年の正月、ある新聞に一文を寄せて、これからは近世史ことに最近世史の研究と教育に、うんと力を入れたいと主張した。その運動はいささか挫折したが、それでも細々ながらなお続けている。」

    器用な日本人は「建前」として新しい社会を受け入れ、「本音」である神道的「世間」を「隠れ切支丹」ならぬ「隠れ神道」として残した。つまり魂は依然として神道的ムラ社会なのである。
    何回も言うが、ムラ社会は個の確立を疎外する。
    個が確立されていない状態だから、逆に抑え込んで呉れる何かが無いと不安なのかも知れない、例えば教育勅語のようなものが。
    教育勅語があった時の方が秩序が保たれていたのでは何とも皮肉な話ではないか。
    マゾ型社会にはファッショの恐れが常に付いて回る。
    個が確立されていないと、どうしても自己実現の成就をムラ社会に期待する事になり、学者の言う事すら色が付いてしまい易い。
    先ずは個の確立である。

    「各自の生活からにじみ出た自然の疑惑こそは、学問の大いなる刺激である。
    これを些々たる要領の暗記によって、一通りは習得したごとく自得させるなどは、一言で評すれば文化の恥である。」

    と、柳田國男だって言っているではないか。』

    それから10年経った今62歳になった自分は、輸入の手法でしか思考出来ない自己矛盾にさいなまれながら、未だに和魂洋才の弊害、輸入の学問の弊害、翻訳文化の弊害について考えている。

    きっと今から10年後に僕が未だ生きていたら、同じ事を言っているに違いない。

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