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    柳田國男を継承する会

    • 2013.02.01 Friday
    • 06:34
    JUGEMテーマ:人生論
    柳田國男がパブリックドメインになり、俺のお袋の著作権継承者と言うこの世でもっともみっともない恥ずべき肩書きが期限切れになり、お袋の野望に兄が加担してた事が発覚し、俺がニコラスクザーヌスの個は全を包含すると言う言葉を体感した事は、日本が変わるべき時が到来したと言っても過言ではない。 1月30日 柳田芳秋AKA狂四郎 柳田芳秋AKA狂四郎 ?@kyoshiro2067 とツイッターで呟いたが、 末っ子が「個は全を包含する」ってのを体感したと言ってる時に、欲の皮の突っ張った家族は俺に相続放棄を迫る程度の低さである、 「今回はかなり痛手だった、成城は古戦場の為に地下室を掘ると主人が死んだりたたるという言い伝えがあるが、それをお袋、次兄と次々と破って、次兄なんてクルゾン病の子が生まれ、皆狂ってしまった、これが民間伝承の元祖の家で起こってるのだからたまらない、俺はオーストラリアに逃げて助かった。」 てな訳で狂四郎こと柳田芳秋は 当初気の弱い長兄を全面的にサポートし、相続放棄しようかと思っておりましたが、今回母親の成城バブルに長兄が加担していた事が判明した事を受けて、たとえ生前排除されようが現在成城6丁目にある小生の名義分に遺留分を加え、私財を投げ打ってでも悪の枢軸と戦い、祖父の名誉及び柳田國男の逝去した成城6丁目15の10の権益を保持し、そこに慰霊碑の建立を実現するまで生きる事に致しました。 「柳田國男は『先祖の話』で「祖父が孫に生まれて来るという事が、或いは通則であった時代もあった」と書き、「霊になってからもこの世に残って丘の上からこの国の行く末を見守っていたい」と、わざわざ自分の墓を川崎の公園墓地に生前に購入した位であり、その遺志をないがしろにする小生の家族の態度は許されるべきではありません。 未だ具体的に活動内容が決まった訳ではありませんし、配偶者の意思も尊重しなくてはなりませんので、今後特別に資金を確保し、オーストラリアならではの金利の良さを利用して基金を創設したいと思います。 今のところ署名運動にするのか、ペイパルを利用した資金集めにするのか定かでは御座いませんので、追って考えて行きたいと思って居ります。 悪さをした人間より真実を暴露して風波を立てた人間が責められる日本の社会と言うものは嫌と言う程熟知して居りますし、こう書いただけで「奥様と仲良くオーストラリアで成仏なさって下さい」と言われるのは百も承知の事ですのでご了解下さい。 つきましては、以前よりしたためております、柳田國男を継承する会のHPを活性化すべく、掲示板も用意致しましたのご意見を賜りますようお願い申し上げます。 【柳田國男を継承する会】

    柳田國男シンポジウムに想う

    • 2011.11.19 Saturday
    • 08:24
    JUGEMテーマ:人生論

    今日から明日にかけ東北大で柳田國男シンポジウムが開催されるらしい、
    姉がメールでお袋が「柳田國男とお嫁さん」ってタイトルで30分話すと言って来た、一瞬目を疑ったギャグじゃないのかと、姉の口ぶりからして又自分も参加したいって思ってるなと感じたが、案の定又メールが来た、僕は何が嫌だって言うと、お袋とか姉とか身内が祖父の事何も知らないで祖父を肴に社交に明け暮れてる事だ。

    彼女達は本当に日本の事を考えているのか、いないだろう、以前谷川健一氏と話した時、「人間古今東西争いをしてここまで来た、世界を良くする事など不可能だ」と無常論を唱えたので、卑しくも柳田國男の後継者を標榜し神道を研究する立場にあるものが仏教の無常論を唱えるとは何事だと猛烈に反論した事があるが、今回姉も同じような事を書いて来た。

    「日本がどうなってしまうのか分かりませんが、1億何千万人かの人が、ここしばらくは日本人として暮らして行くと思います。」
    「国家やメディアに騙されながらも、どうにか日々を過ごして行くと思います。」
    「9条を守る会、に最近では脱原発を要求する署名活動も盛んです。できる事をして行くより仕方がありませんね。」

    いかにも諭すような口調で舐めているとしか思えない。

    何故この国難の時期に柳田國男のシンポジウムなのか理解出来ないそれも東北で、今東北に人を集めるのは殺人行為だとまで言われている、福島駅伝が海外メディアで死の駅伝と紹介されたばかりだと言うのに。

    柳田國男没後50周年は良いが、彼が危惧していた事が今ここで現実となって日本を襲い掛かっているにも拘わらず、お祭り騒ぎをやっている場合じゃないだろう、一体日本人は何を考えているのか理解出来ない。

    僕の終戦記念日の日記を見て頂けば判るように、柳田國男はその時点で既に諦めていた、その反省をする為のシンポジウムならまだしも、以前の後藤総一郎の「民俗学は永遠です」、読売ジャイアンツでもあるまいに、谷川健一に至っては「日本は何故か大切なものを失ってしまった」、すべて西欧普遍主義に傷ついた軟な男の情緒である。

    最近気がついたのだが、今まで「日本は終わってる」と二言目には口を揃えたように言っていた日本人がパタッと言わなくなった、現実味を帯びて来るとさすが言えないのか、結局今までは自虐的に言ってただけで、未だに誰かさんの「日本の底力」なんて迷信を信じてたんだろう。 

    責任感からの開放

    • 2011.08.16 Tuesday
    • 05:33
    JUGEMテーマ:人生論
    昨日スティッカムjpで配信中に実に不思議な事が起こった、終戦記念日だったので硫黄島の話が出て、仲間が青山さんの硫黄島のユーチューブを貼って呉れたので観ていた矢先だった。
    配信中どこからともなくカサカサカサカサと音がするので部屋中歩きまわったが、みつからない、まるで電灯の笠の中で虫が暴れてる音なのだが、何も見当たらない。
    そのうち英霊の話しになり背筋に寒いものが走り、これは霊じゃないかと思い出した、参加者全員が何か不思議なものを体験していた。
    済んでからツイッターに書き込んだまでは良かった、

     kyoshiro2067 kyoshiro2067
    今日配信中に終戦記念日なので硫黄島の話しをしていたら、部屋のどこからとも無くカサカサする音が聞こえて来て、参加者に言われるままに水を汲んで供えたら止んだ。どうも霊を呼んでしまったらしい、日本時間の12時から戦争で犠牲になった英霊の為に黙祷を捧げたいと思います素晴らしい体験だった。
    6時間前 お気に入り 返信 削除

    その朝僕は柳田國男の敗戦についての言葉を自分のpcをサーチすると共に、朝柳田國男と敗戦でググっていて、たまたま配信が済んでから再び折口信夫のウィキを見ていたら、朝は読み過ごしてしまった硫黄島の事が出てるではないか、それこそ復たびっくりしてしまった。

    「柳田は折口より十二歳年上であったが、共に1945年(昭和20年)の敗戦時には60歳を既に迎えていた。
    その戦後のこと、重い口調で柳田は折口に話しかけたという。「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」その問いにしばらく両者深く思い沈んでいたという。折口には、18年間共にした養嗣藤井春洋の硫黄島玉砕という重い出来事があった。その追悼の念は徹底的で、敗戦の詔を聞くと四十日間喪に服し、自分の死ぬまで遺影前の供養を欠かさなかったという。第二次大戦で失った戦死者の鎮魂は大きな課題で、戦没者が生前に殉じる価値を見出そうとした皇国などといった概念も天皇の人間宣言とともに潰え果てたのである。柳田も日本人の神や魂といった問題意識は共有していて、折口は後その問題を「民俗史観における他界観念」という著に収斂させていくこととなる[2]。」
    僕は祖父がそんな事迄考えていたのかと思って驚愕するとともに、昨日書いた日記で祖父の言葉を繋ぎあわせるとやはり完全に日本の遅れを指摘している事を書いたからでもある。
    つまりどうもても自分の無い日本人は独立国として或いは主権国家として今のままでは残りようがないのである、配信でも何回もそのうち、中国の自治区になるかアメリカの52番目の州になるかしか選択肢はないのかと再三再四に亘って問いかけていたのだ。
    僕は今までは祖父の名誉を守る為に日本の特異体質を論い、個の確立を説いて来た積りであり、謂わば柳田國男の所謂第二部を引き継いで来た積りであったのだが、ここの来てマイナスの結論に達してしまい戸惑いを覚えていたところだったのである。

    僕は祖父も薄々このマイナスの結論を祖父自身が導きだしている事に気が付いているのじゃないかと感じていた矢先だったので、びっくりすると同時に安堵感があったのも事実である。
    「これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。」

    この全面勝利か玉砕かの二分法が聖俗未分離の最大の特徴であり、これを続ける限り遅かれ早かれ日本は消滅すると言う僕の説とも一致するし、祖父の結論も同じだったと言う事を知り、ある意味で責任から開放された。
     

    二代目柳田國男襲名

    • 2011.07.21 Thursday
    • 08:04
    JUGEMテーマ:人生論

    柳田國男をめぐる環境が余りにも腐っているので、二代目柳田國男を襲名しようかとすら思う。
    苦労の甲斐あって柳田國男をコンシャスチャネリング出来る位のレベルまで理解した積もりであるので文句を言われる筋合いは無い。

    お袋が祖父を水木しげるの妖怪好きおじさんのレベルまで引き下げる張本人をやっているのを嘆いたばかりなのに、今度はその後釜を狙うかのように他家に嫁いだ姉が食指を動かしているのが気になった。
    嫁ぎ先の南家の祖父である画家南薫三の交友関係を洗い出して自費出版したりして、他人のふんどしで相撲を取ろうとするところなど、お袋そっくりであり、娘の育て方に至るまで実にそっくりなのだが、悪いので本人には言っていない。
    お袋の載った遠野まごころのブログのリンクを送ろうと思っていた矢先、メールを貰ってしまったのだが、福崎町で行われるシンポジウムに行こうと思っていると言う内容なのだが、まぁ、成城大学の文化史コースで柳田國男の日記を私物化したとして悪名の高い鎌田久子の下で民俗学を学び、インディアナ大学でドーソン教授の下で民俗学修士まで取ったのでこのまま埋もれたくないと言う気持ちは理解出来るのだが、アンチ民俗学の山折哲夫さんが講師をやるシンポジウムに呼ばれもしないのにのこのこ福崎くんだり迄出向こうとする姉の気持ちが今一つ理解出来ない。
    何よりも僕が気に入らなかったのは、この為に赤坂憲雄の本を読んで勉強している、國男さん(いつから國男さんと呼ぶ程偉くなったのか)のものを読んでいなくても、大体のことが彼の本でわかると書いて来た事である。
    僕は赤坂憲雄氏は柳田國男の発生と言う言葉を使ったので毛嫌いしているので読んだ事も無いし、後藤総一郎でもへたれだと思っているので、ましてやその後の人間の書いた物など読みたくもないからである。
    折角姉貴にも柳田國男は偉大な思想家だがその弟子以下はくずであると書いたにも関わらず理解して貰えなかったようである。
    大体、柳田國男全集にも出ていないような談話の中、或いは講演の中で柳田國男は大事な発言をしているのであって、民俗学の本を幾ら読んでも偉大な柳田國男を理解するなど到底不可能だからである。
    僕が意地悪な両親にもめげず古本屋を歩き回り買い漁った柳田國男談話集なり、回想なりを読んで初めて柳田國男の知の技法が少しずつ理解出来たと言うのに、苦労もしないで柳田國男論を読んだだけで柳田國男が理解出来るわけもない。

    「私はいつでも現在にとらわれている。変化を受けた、いろいろの影響を受けた日本人を知りたいという心持をもっている。」
    「しかしそれをやっておったら研究が非常に複雑になる。」
    「なんなら今から若い人たちの見方に加わってもよいが、もとは古い旧日本だけに力を傾けていた。」
    「少しく妥協的に聞こえたかもしれぬが、私は久しいあいだ「日本人らしさ」という言葉を使っていた。若い人たちはそれを解して、西洋の文明を受けて生きておくこともその「日本人らしさ」のうちのように考えたかもしれないが、自分だけはそれを固有のもの、開港以前からあったものというつもりだった。」
    「あるいは二つに分けて、現代の日本人らしさを知るのを、第二部とでもいっておいたほうがよかったろうか。」

    いつまでも開港以前の日本人らしさに拘り、第二部を始めようともしない民俗学者等、ものの役にも立たないくずである。

    果たして一介の民俗学者に柳田國男の知の技法が理解できるか疑問である。

    以下は僕が柳田國男を継承する会のホームページに書いたものの抜粋である。

    【柳田國男の知の技法】

    「現在の所謂「民俗学」の流れは、近代文明に合流している時代の流れに逆行している様にも映る。柳田が好んで使用した「史心」というものは、現代を把握して初めて言える言葉であって、ノスタルジーやアナクロニズムとは訳が違うのである。口では「史心を養う」と言いながら今だに出発点が現代でない、つまり自分自身でない、出発点が柳田國男からではこの「日本とは何か」という複雑な方程式は解けない。日本を研究している筈の人間が、自分の時代を度外視するという最大の過ちを犯し、まるで全て蚊帳の外である。社会が尤もらしく存在しているものをそのまま信じて何の疑問も持たなければ、学問する意味も無い、只、事の経過を記録しておくだけで良い。何かを解き明かそうとするエネルギーがいつの間にか柳田國男自身の謎解きにすり替えられてしまっている。研究者の内に何等現在の日本に対する疑問がみられない事、つまり内から湧いて来るエネルギーが感じられないのである。」

     

    退廃

    • 2011.07.15 Friday
    • 07:12
    JUGEMテーマ:人生論
    昨日スティッカムでいつものように配信していて、変な人間が余りにも多いので、続ける意味がないのじゃないかと思い始めた。
    2ch、スティッカムとも、午前中は、引きこもり、メンヘラ、ニートの烏合の衆が多いのも事実だが、あまりにも多過ぎる、2chは日本の世間の凝縮だから仕方ないとしても、目に余る、国難の時期もなんのそのである。
    そんな時ある友達が一つのリンクを貼ってくれた、お袋がしゃあしゃあとして尤もらしく語る姿があった、ご丁寧にも自分が米国にいたとき騙されて撮らされた写真まで出して。

    【遠野】

    お袋は人の言った事をぱくるのが上手で今回も、なんか俺が言った事や書いたことを見てるんじゃないかと感じた。
    僕はいつも友人に今にお袋に呪い殺されると言っている位、お袋は次兄を利用して僕を見張り、ネットを全てチェックしてるのじゃないかとすら思う時があるのだ。
    62歳の末っ子が血液癌で死ぬかもしれないといつも怯えて暮らしていても平気の平左、93歳で大槌町に出向きお邪魔虫をして人気取りをする自己顕示欲の強い婆さんなのである。

    【退廃】

    女房に朝食の席で話したら「お母様がオリジナルなんじゃないの」とジョークを言っていたが、お袋は自分の頭で考えるのは嫌がらせと、悪さだけである。
    お袋が祖父の名を語る大元の動機はは柳田家に対する恨みから来ているのじゃないかと言う事で平民の子として柳田家に嫁いで散々苛められたと言うのが彼女の言い分であり、お父様が自分が死んだ後は財産はお前が好きなようにして良いとおっしゃったとさも尤もらしく話す位の人間である。
    かくして彼女のお陰で柳田家は借金まみれ、家族ばらばらの崩壊家族なのである。

    今回感じたのだが、菅以下売国奴民主党が日本に対する恨みが動機になり国家転覆を図っているようなものなのだ。
    大体血も繋がっていないのにも拘らず、柳田國男を父がと如何にも実父のように語るのが俺には耐えられない。
    遠野で自ら座敷童子を演じ民俗学を、水木しげるの妖怪漫画のレベルに下げている張本人を俺はあくまでも糾弾する。
    僕は民主党のみならず、お袋みたいな似非なものが尤もらしくまかり通る世の中は受け入れられないし、日本も断末魔だと思うのである。

    この文章を出来るだけ多くの人間が読んで真実を掴み取る技術を学んで欲しいと思う。

    西欧普遍主義

    • 2011.05.28 Saturday
    • 07:30
    JUGEMテーマ:人生論
    僕はよく、「柳田國男は西欧普遍主義に反対こそすれ、傷ついてはいなかった」と言い続けて来た。

    これを再度岸田理論にあてはめれば、柳田國男の発言も理解できるし、國男が開港前の日本人らしさに拘ったのも理解できる。
    「日本人の大多数は、まるで魚か渡り鳥の群れのように、みんなのする通りに行動するのが、最も安全なる活き方だと、信じているかと思うような、個性の没却が常の習いになっている。これには我々のまだ知らない深い原因があり、これによってこの奇抜な風土に適応し、種の保存には成功し、しばしば繁栄の機会をつかみ得たのかもしれないが、その代りには背後に血と涙と汗と、少なく流れるを喜ぶべき液体が多量に流れる。デマゴーグの最も効を奏しやすい国であり、普通選挙の根っから張り合いのない国でもあったのである。」
    僕が「民俗学は全共闘の生き残りの駆け込み寺化してしまった」と嘆き、即ち西欧普遍主義に傷ついた人間の心の拠り所つまり、ナショナリズムの巣窟になった理由も理解できる。
    それではもう一度岸田理論を検証してみよう、
    「結局、日本人が日米戦争あるいは経済成長によって解決しようとした問題、すなわし外的自己と内的自己との分裂の問題は以前として解決されずに残っている。日本人の自己同一性は以前として不安定である。外的自己と切り離されて純化された内的自己の一つの重要な形態である尊皇攘夷思想は、戦後も一つの底流として流れつづけており、ときどき表面まで吹き出してきて、山口二矢の浅沼書記長暗殺や三島由紀夫の割腹自殺のような事件を惹き起こす。彼等を時代錯誤的と決めつけても問題は解決しない。彼らは時代錯誤的なのではなく、戦後抑圧されている日本人の人格の反面を純粋な形で表現したのである。」
    これが僕が前述した、ハワイの入管での会話、「パールハーバー爆撃に失敗したので、今回はハワイを買いに来た。」というジョークなのである。
    「日本人がとくに外国人に示す例の無意味な笑いも、これと一連の症状であって、まさしく分裂病者のうつろな笑いと同質のものである。それが無意味なまたはうつろな笑いと見えるのは、内的感情と切り離された無関係なところで、顔の筋肉だけが笑っているからである。このような笑いは、外的自己と内的自己とが分裂している者にしか可能でない。」
    これが岸田さんが仰るようにペリーショックで傷ついて自分を殺してしまったのか、最初からなかったのは定かでない。
    柳田國男だって明治八年生まれで、開港前の日本を知っていたわけではない、僕が戦前の日本或いは戦中の日本を知らないのと一緒である。
    然しながら島国で外国からの侵略を一度も受けた事なく、所謂、「国家形成が早かった為統一規範としての宗教が必要なかった」と言う決まり文句の通り、聖俗未分離で自己完結型の論理の中で暮らして来た日本人の事であるから推して知るべしである。
    つまり、ペリーショックは相当強かったと言う事だろう。
    「ペリー・ショックが日本人に与えた心の傷はまだ癒えていない。それを癒すためには外的自己と内的自己との統一が必要である。この統一が成れば、そこに自己同一性の基礎を見出すことが出来る。従来の統一の試みが失敗したのは、外的自己と内的自己とのどちらかが一方を隠蔽あるいは排除して他方のみを自己と認め、無理やりにその半端な自己を自己の統一的全体とみなそうとしたからである。あるいは、この両自己を切り離したまま使いわけようとしたからである。あるいは、この両自己の対立をいい加減な妥協形成によって糊塗しようとしたからである。」
    いずれにせよ、日本人は柳田國男が民俗学は内省の学問であると主張した通り、内省が必要なのであり、とりわけ必要なのは、柳田國男が新国学として民俗学を提唱した事を再考し、一介のお化け好き爺さんというイメージを払拭し、ナショナリズムの権化となることなく、イタリアルネサンスならぬ、文芸復興を図る事である。
     

    20年経って想う事

    • 2011.05.13 Friday
    • 08:00
    JUGEMテーマ:人生論

    「結局・矢張り・そこいら辺」と言うタイトルで、

    http://yanagitakunio.web.fc2.com/hajimeni.html


    『「何を考えていても、何かをしていても、いつもぶち当ってしまうところ、足を引っ張ってしまうもの、何か変だなと感じるもの、まずそれを解決してから進みたい何か。
    そんな事を考えている内に十年経ってしまった。余生を如何に生きるか、これが今の私に課せられた課題である。 
    結局とどのつまり、私の勘違いしていた事は、年をとれば皆物が分って来て、どんどん進歩していくものだと思い込んでいたことである。
    ある時ふと、『親からインプリントされた物が間違っていたら大変だぞ』と言う疑問が湧いて、これが学校の先生、会社の上役と拡がって行くのだが、この目上の者不信が焦りを生じさせ、やる気を無くさせる元凶のようであった。
    私は四人兄弟の末っ子であるので、いつも自分が間違っていると思い込まされていたみたいである。三十過ぎる迄年だけは追い付けないと言う事に気が付かなかったのだ。
    つまり人間は一時たりとも同じ時は無いということにもつながり、思い付いた時が行動に移す時でもあるという事である。 
    最近今迄持ち続けていた疑問がやっと自分なりに分かるところ迄来て、気分的にも自分を攻めまくることがなくなり、非常に楽になって来たので、丁度人生の半ばを過ぎた記念にもなる事であるし、書き記しておきたい。」』

    始めた普遍性追求の旅もかれこれ20年以上経ってしまった、

    最初の頃は頭の中のもやもやがあと少しで解けるのになと苛付かされたものだった、つまり頭の中の短絡を取り除いて宇宙と一直線で繋がりたいと言う欲求がむくむくと頭をもたげていたのだ。

    最近祖父の文章を読み直して見てやっと理解出来る感じがした。

    『「私は何しろ年を取り、活きる力も残り少なになってから、遅まきに気が付いたのだから容易なことでなく、従ってまた後々の参考にもなるのである。」
    「実はもう二十年以上も前から、うすうすこれが心配になり出して、少しずつ知識慾を制限しようと試みた。」
    「何でも知っておろうとするような望みはまず棄てて、ただ自分の生活から、必然に起って来る疑問だけに、答を求める方へ力を傾けようとした。」
    「ところがそうなるとまた意地悪く、今まで何とも思わなかったものに興味が動き、垣根の外を覗くような好奇心が、際限もなく自分を引っ張り付けて、しまいには生活圏をいびつにしそうなおそれがあった。」
    「そこで対策としてまず活き方を単純にし、元来素人であった芸事や勝負事と縁を切り、幾つかの観覧物をを次々に断念して時間を作り、後には気休めの理窟をこしらえていろいろの社交から遠ざかり、一方にはまた職業というものを持たずに、どうにか活きて行かれる工夫をしたのは、相応な辛苦であった。」』 

    真の自由とは

    • 2011.05.12 Thursday
    • 08:23
    JUGEMテーマ:人生論
     引用ばかりで申し訳ないが、僕が祖父を引用すれば全て孫引きって冗談もあるくらいなので、少しの間ご容赦頂きたい。

    柳田國男は「青年と学問」の中で「漫遊者の記録」と題して俳諧を評してこう述べている。

    『「けだし俳諧の自分たちを感動せしめる部分は、実は多数の俳人の弄んでいる発句の方には少ない。これに反して俳諧の連句の方は、生憎と表現に無理が多くて難解ではあるが、わかりさえすればことごとく近世生活の実写であり、しかもその約四分の一は、作者自身の旅行の産物であった。」
    「四分の一と勘定したのは変であるが、その他の四分の一は家庭の日常経験から、他の四分の一は読書と瞑想から、残りは古文学の口真似であるゆえに、そう言ってみたのである。」』

    柳田國男が旅行好きなのは自他共に認めるところであり、以前柳田國男が家に居ないで旅行ばかりしていたのは、養子で肩身が狭かったからだと言った人が居たそうだが、新井喜美夫氏は「「日本」を捨てろ」という本の中で、宮本武蔵と松尾芭蕉をとりあげて以下の様に述べている。

    『「剣にしても禅にしても、またその他の芸術にしても、いわゆる「道」をきわめるという表現は、このような文化的なもの、精神的なものの神髄は、とても固定された「ムラ社会」の中には存在していないことを示している。」〈中略〉

    「ほとんどの大衆が易々諾々として、「ムラ社会」に対する帰属意識しか持ちあわせていなかった時代に、芸術や文化、あるいは兵法や宗教などを通じて、自らの自己実現をこころみたことは、まさに特筆すべきであったろう。」』

    柳田國男が当然の様に四分の一は旅行、四分の一は読書と瞑想と言う様な生活はなかなか期待出来るものではないが、彼が自然に身に付けたものを分析し科学的に再構築する事により高次の認識を身に付ける努力が凡人である筆者には必要なのかもしれない。(この部分は筆者が以前書き記したものです)

    ウォルフレンがかつてこう書いていた、

    『「自国への愛を表現するにあたってのこの障害は、どうすれば取り除けるのか。それを可能にするためには、通常の思考の枠から、大きくはみ出していくことが必要である。」
    「それができるかどうかに、あなたの個人の人生を含めた、多くのことがかかっている―それを、本書を通じて、私はあなたに分かってほしい。」』

    枠ってのは超えてみないと見えないものなのです、狭い世間の中で拘束されながら愚痴を言って暮らすのが一番楽です、ぬるま湯につかっていたら真の自由は味わえません、これが別宮先生が「『あそびの』哲学」 の最後に太字でお書きになった、「あなたはほんとうの自由に耐えられるか?」なのです。

    歴史は遡るもの

    • 2011.05.11 Wednesday
    • 12:21
    JUGEMテーマ:人生論
    10年前に僕はこんな事を書いていた。

    『戦後の事を考えると、日本にはタブーが多くて気を遣う事が多いと感じので、私は最近近世史をさらい直そうかと思っている。日本人のメンタリティーを知る為には戦後の事をもっと良く知らなければならないからである。
    天皇制の事、国家神道の事等日本人の心の中に根強く残っていると思われるからである。
    敗戦により「和魂」が負け「洋才」だけが残った。かと言って「洋魂」になる訳にも行かず、魂を抜かれた儘五十年以上過ぎてしまった。
    善かれ悪かれ魂は必要である。

    「歴史は遡るものである」と考える柳田國男も曾て同じ事を言っていた。

    「私は終戦の次の年の正月、ある新聞に一文を寄せて、これからは近世史ことに最近世史の研究と教育に、うんと力を入れたいと主張した。その運動はいささか挫折したが、それでも細々ながらなお続けている。」

    器用な日本人は「建前」として新しい社会を受け入れ、「本音」である神道的「世間」を「隠れ切支丹」ならぬ「隠れ神道」として残した。つまり魂は依然として神道的ムラ社会なのである。
    何回も言うが、ムラ社会は個の確立を疎外する。
    個が確立されていない状態だから、逆に抑え込んで呉れる何かが無いと不安なのかも知れない、例えば教育勅語のようなものが。
    教育勅語があった時の方が秩序が保たれていたのでは何とも皮肉な話ではないか。
    マゾ型社会にはファッショの恐れが常に付いて回る。
    個が確立されていないと、どうしても自己実現の成就をムラ社会に期待する事になり、学者の言う事すら色が付いてしまい易い。
    先ずは個の確立である。

    「各自の生活からにじみ出た自然の疑惑こそは、学問の大いなる刺激である。
    これを些々たる要領の暗記によって、一通りは習得したごとく自得させるなどは、一言で評すれば文化の恥である。」

    と、柳田國男だって言っているではないか。』

    それから10年経った今62歳になった自分は、輸入の手法でしか思考出来ない自己矛盾にさいなまれながら、未だに和魂洋才の弊害、輸入の学問の弊害、翻訳文化の弊害について考えている。

    きっと今から10年後に僕が未だ生きていたら、同じ事を言っているに違いない。

    差別について

    • 2011.05.10 Tuesday
    • 07:51
    JUGEMテーマ:人生論
    違いばかり論う日本人なんて考えていて、ふと、柳田國男の言った「世界苦と孤島苦」と言う言葉を思い出した。
    言わば、沖縄本島の人間は宮古島を馬鹿にし、宮古島の人間は波照間を馬鹿にすると言った内容だったと記憶しているー済みません僕は今でも悔やんでいますけど、豪州に思想的亡命(冗談)をした時に蔵書をすべて処分して、広辞苑と研究社の新和英大辞典と後少しの本だけしか手許に無いのです。ー

    僕が沖縄のシンポジウムに母と一緒に招待された時、

    「沖縄で感じた事は、何と言っても、島の人達が、「本土」、「本島」と自己差別をし過ぎるという事である、その時私は「沖縄は小さな日本である」と思った。これが後に、祖父の言っていた「孤島苦と世界苦」だと知ってどんどん祖父の学問と言うよりも、祖父の考えていた事に興味が深まり、のめり込む直接の引き金になったのである。その時迄「青年と学問」すら読んだ事が無かったのである。もう一つの大きな発見は、「桃太郎の誕生」は祖父がボティッチェリの「ヴィーナスの誕生」をイタリアで鑑賞しながら思い付いたという事である。自分があれだけイタリア・ルネサンスに惹かれ理由がこの時初めって解ったのである。」

    と書いた様に、

    僕が柳田國男を継承する会のHPに「沖縄発見の意義」と題して、
    「それは「世界苦と孤島苦」 という言葉に全て含まれている。
    柳田國男が何故沖縄の研究に拘ったか。
    幼少時における二つの原体験、鵯、絵馬 、から流れる二本の流れ、― 不可視のものと可視のものとの二つの流れとでも言おうか ― それらの流れが、國男の内でいつの日か、「信仰」と「世間」に対する疑問という二つの流れに育ち、それが沖縄で合流したのである。」

    と書いたが、

    日本人の違いばかり論う気質、共通点を見出す努力をしない姿勢こそ、差別そのものの体質なのではないかと言う事である。
    何回も言うようだが、日本はアメリカの人種の坩堝と違って色分けされておらず、建前、一民族一種族であり、水面下で陰湿な差別及び苛めが行われているのだ。
    これはあの自殺したフィリピン人の混血の明子ちゃんの報道で混血だと言う事が殆ど報道されていないと言う事でもわかる、これは何故肉屋の業界ばかりあれだけの不正がまかり通っているのかと同じだと思う。