尺度を超える

  • 2010.10.25 Monday
  • 09:25
JUGEMテーマ:人生論
 
「年齢を超え、性別(この場合はジェンダー)を超え、国籍を超える」とお題目のように唱えていて、27歳下のオージー娘と結婚してついに赤道まで越えてしまって、主夫(ジェンダーを超える)をしてるんだから、求めよさらば開かれんってのはまんざら嘘でもない気がする。

僕は50以降の人生を第二の人生、以前を前世と呼んでいる、これは前にも書いたが、50の時それまでの人生を自伝にまとめ、そのあと最初に出会った女性がたまたま今のオージーの女房で、オーストラリアに移住して全く違う生活を送るようになったのでそう呼んでいるだけなのだが、これが自分にとってはかなり奇跡的なのでまんざら前世と呼んでもおかしくない気分でもある、つまり50以前は全て前世の記憶なのである。

別の言葉で言うと、50迄は理念編、50以降は実践編とも言える、50迄は只御託を並べ、薀蓄を傾けるだけで、何一つ実際的な事が無く、50を過ぎ、60になんなんとする今やっと人生の機微を学んだような気さえする。

国籍を超え、年齢を超え、性別を超えと言っても抽象的で判り難いので少し説明させて頂くが、全ての尺度を越えるというのは、簡単そうで居て実に難しい、幸いな事にオーストラリアは南半球で、渦巻きも逆、太陽も北側を東から西に動くので、ここら辺の常識から変えて行けば簡単である。

まあ、簡単に言うと、この世で追いつけないものなんて年齢位なもので、年が上だからというだけで威張らないとか、男だからこうあるべきだ、女だからこうあるべきだとか、オーストラリア人だから理解出来ないだとか言う考えを吹っ切って違いを受け入れることなんだが、オーストラリアは日本みたいに戸籍謄本とか住民票台帳みたいなものがないからなんだが、例えば、27歳下の女房が所帯主としてやっていくみたいなものだと考えると判り易い。

昨年の11月でやっと結婚7周年を迎えられてほっとしているが、この7年は実に充実していた気がする。(現在無事結婚10周年を迎えたのは前述のとおりです)

最初の内は尺度を超えるなんて言っている本人が超えられないでやきもきしていたが、出会った時は23歳だった女房も今では31になり自覚もはっきりして来たし、これで僕が還暦を迎える迄にしっかりと足場を築いて貰えればそれ以上の事は無い。(女房も今では大学の卒業資格も取り、続いて会計士の資格を取り、35になんなんとしている)


再生の三段階

  • 2010.10.25 Monday
  • 09:19
JUGEMテーマ:人生論
 
僕は丁度50になった時、ちりじりになっていた人格を統合するという試みで、それまでの人生を自伝に纏めてみた事がある。

たまたま、それを書き終わって、巷に出歩いた時に初めて出会ったのが現在のオーストラリア人の女房なので、かなり奇跡に近いものを感じている。

書いた当時は、「丁度人生の半ば過ぎ、私は暗い森の中に居た」みたいに、まるでダンテの『新曲』の出だし状態だったのが、今ではまともに読んだ事は無いのだが『新生』の状態にまで進んだみたいなので、40代を10年間悩み狂って、イタリアルネサンスから、柳田國男の研究、日本の特異体質の研究をしていた事が今の自分に繋がったのだとまんざらでもない。

最近株式を上場した会社のSNSSocial Networking Service)の中に色々カテゴリー別のコミュニティーがあるのだが、それを見ていると色々な要素が複雑にからんで、一筋縄では解決出来ないのが人生だと感じる。

例えば、僕の場合、「蓄膿症」、「外反母趾」、「左利き」なんてのを始めとして、「外国人妻を持つ日本男児の会」、「年の差夫婦」、「主夫ですので」と言うのに参加しているが、一つ一つのコミュには同類がいても、この3つの要素全てを満たす条件の人間に巡り合うことは先ずない。

それに、「子供のいない人生」、「モラルハラスメント(言葉の暴力)」なんての迄含めるとお手上げである。

つまり、人生という物は所詮自分で解決していかなければならないと言われているみたいなものである。

僕は自伝を書く迄の50年間を前世と呼んでいる位、以来生活が全く変わったので、この自伝がかなり役に立ったと思っている。

イタリアルネサンスの研究から始まったので、これを再生の三段階と呼んでいるのだが、つまり、再生=プレイバック、再生=リサイクル、再生=ルネサンスの三段階である。


安全と安心

  • 2010.10.25 Monday
  • 09:11
JUGEMテーマ:人生論
 
僕は幼少期のトラウマなのか性格なのか、心配性である、常に夢見が悪いので朝は最悪である。

特に還暦に近くなって来たら、年寄り特有の奇妙な症状もたまに現れるので尚更である。
(昨日で満62になったが、益々心配性はつのるばかりである)

最近交通事故の夢を見ていて、夢の中でトラブルになり相手をつい殴ってしまった時に、思わず隣で寝ていた女房の顔をこぶしで殴ってしまったことがあった。

その瞬間目が覚めて、一生懸命誤ったのだが、幾ら夢とは言え、自分の手に手ごたえがあり、女房も朝になってもまだ痛いと言うし、数日経った今も未だ痛むと言うので、芳しくない。

実は、以前もこれと同じような事があり、その時は当たり所が良かったのか女房も今回程痛がらなかったので看過してしまったが、今回は二度目でもあるし、多少心配になってインターネットでサーチしてみた、睡眠中、暴力と入れただけでかなりの数字ヒットした。

どうも、これは1968年以来、学会では「レム睡眠行動障害」と呼ばれているらしい。

症状がひどい場合はうつ病に使う薬を投与するらしいが、僕の場合頻度も高くないし、他の疾病もないので、その他の原因不明に属するみたいだ。

50から60の人間に多いらしい、通常レム睡眠の時は目は頻繁に動くけれど、筋肉は弛緩してるらしいが、この障害があると筋肉が夢の中の出来事通りに動いてしまうのが原因だそうだ。

幸いな事に女房が軽く流してくれているので助かっているが、僕自身は内心忸怩たるものがある。

人が常に必要なのは励ましと安心感だと思う、最近流行っている、安心と安全なんてのは、英語のSafety & Securityを直訳したようで、胸にずしんと来ない、言霊の国日本で訳語だけが一人歩きしてしまっているのはなげかわしい。

言葉の問題は又別のコラムで書きたいが、僕の兄弟は嫌、兄弟のみならず、死んだ親父もそうだったのかも知れないが皆、母親のモラルハラスメントに悩まされて来たので、あまり一般的とは言えないが、今の女房に会うまで僕には、この励ましと安心感ってのが欠如していたような気がする、怖いくらい何も無い単調な日々をこうやって過ごせるのも、女房のお陰だと思う。

そりゃ、幾ら何も無いとはいいながら、女房が期末試験が済んだ直後学校から電話して来て落としたかもしれないとがっくりきた声で電話してくるなんてのはあるけど、そういった事に一喜一憂しながら生きるのが人生というもの、致し方ない、それよりも、この娘ほどの年の女房の人生の局面に居合わせられるだけでも子供の出来ない自分にとっては幸せとしか言い様が無い。

世間との葛藤、母親との軋轢、仕事の悩みから解放されて、こうやって南半球でのほほんと暮らしていけるのも、女房のお陰だ、この幸せ感を失う恐れから開放される為にも、日々感謝の気持ちを忘れず、悔いの無いように過ごしたいものだ。


女房

  • 2010.10.25 Monday
  • 08:57
JUGEMテーマ:人生論

僕もやっと結婚7周年を迎えられた、と前に書いたが、ここだけの話だけど、最初の結婚が6年で終わったので、実のところほっとしている。(現在結婚10周年を過ぎたばかりなので、この記事は3年前のものになってしまった)

子供も出来ないのに、無謀にも離婚し、母親のモラハラにあい、日本の社会とミスフィットになり、元々金儲けの素質も無いので商売も上手く行ったためしがない自分が下した決断が生まれて初めて上手く働いたという画期的なものである。

私の女房は言わばオージーの元コギャルであり、14の時に家出して悪の仲間に入り学校も行かずに仕事を転々とし、パースで不良をやっていても埒が開かないと彼氏とシドニーに出て来たのは良いのだが、田舎の不良は都会ではななか相手にして貰えず彼氏はパースに帰ってしまったのだが、そんな時強いのは女で彼女はシドニーに残り高校の勉強をやり直しツアーのコースで勉強した後、はるばる親戚を訪ねスコットランド迄行くが、矢張り都会が良いとロンドンに出る。ロンドンで稼いだ金でヨーロッパを旅し友達と二人で日本でもう一稼ぎしようかと東京をふらふらして居た時に悪い中年のおやじに声を掛けられ、内面を見透かされたのでびっくりしてそこにのめり込んで遂には結婚迄してしまった血液型A型、蠍座の元コギャルなのだ。

髪はチャパツである、チャパツでもヤンキーでは無くオージーである。

最初に話した話題が血液型で、「A型じゃ西洋の社会で生きるのは大変だから、A型ばかりの日本に居たら?」というのが始まりなのである。われわれの共通点は不仲の両親の葛藤がトラウマとして残ってしまい二人とも愛情欠乏症であるという事で、丁度お互いの心の隙間風を防ぎ合って生きているという感じなのである。

年が離れているので、言わば父子家庭みたいなものであるが、そんなこんなで旨くバランスが取れている感じである。

若い時に躓いた女房と二人で人生をやり直す事が出来たのは自分にとってはそれこそ奇跡みたいなものだった。

これは子育て擬似行為みたいなものかも知れないが、娘が欲しかった50がらみの親父が父性愛に飢えていた23歳の娘と一緒になった、今の女房との1年は犬年齢じゃないが一年が5年くらいの充実感がある。

進路で悩むオージー娘と運命を共に出来、その成長振りを目の前で見れる、子供の出来ない自分にとって、子供みたいな年齢の女房の人生で直面する色々な局面に立ち会えるってのは実に幸せな事である。

第二の人生は女房の幸せを一義に生きる、無私の境地で行きたいなんて油断してしゃれたことを考えていると、生意気な女房の態度にむかつかされたりして、そんなに簡単には物事は進まないが、老いては子に従えとも言うし、主と従をちょっと入れ替えるだけで意外とスムーズに進むものである。


 

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